Pithecanthropus Erectus

読んだ本などの感想を書いてます。

阿部和重『Orga(ni)sm』

 

f:id:kazuki_shoji:20210220014439j:plain

謝罪しなければと思うが、その直後に出たのは別の言葉だった。

「ラリーさん」

「なんです?」

「ありがとう」

                      (p.340より)

 

ラリーさん、とは阿部和重(この小説の主人公)の家にとつぜん(血まみれで瀕死の状態で)やって来たアメリカ人のことである。そしてラリーは自らをCIAだと称し、なんだかんだあって大変なことになるからと言いつつ、困惑する阿部和重を協力者として巻き込み、共に行動することになる。

 

しかしラリーの要求はいつも一方的で強引で、阿部和重は断り切れずになんとかその要求に応え続けるのだけれども、中古車(アルファード)まで買わせられる。阿部和重は東京から山形まで高速道路を運転させられている車内で、お金の話をラリーに持ちだす。つまり、このアルファード代も含めて、これまでラリーのために支払ってきた諸々の代金はちゃんとあとで払ってくれるんだよね、ということを。

 

これに対しラリーは、自分やCIAがお金を払うことはできないし阿部さんだって損してるわけじゃないですよねだって物自体は手元に残るし、と屁理屈みたいなことを言うので、阿部和重は、『シリアナ』という映画の話題を差しはさみつつ怒る。自分はあまりにも軽んじられすぎている、と。しかしラリーは、二人は「トモダチ」だという。いや、こんな関係は友達ではない、と阿部和重は反論する。「友だちってもっと対等な関係のはずですよ」と。しかしラリーは「阿部さんとわたしは、対等な関係」だという。

 

そして、屁理屈っぽいけれどまあいちおう筋は通ってる、みたいなことを言い続けるラリーによって勢いをそがれた阿部和重は、いらだちまぎれにけっこうきつめのいやみを口走ってしまう、言った瞬間から後悔するようなたぐいのものを。ラリーは暗い顔をして押し黙ってしまう。

 

阿部和重は自分の失言を悔やみつつどうしようかと困っていると、いきなり「もうすぐ、サービスエリアですよ」とラリーに声をかけられる。同乗している3歳の息子の映記君をトイレに行かせるため、次のサービスエリアによることになっていたのだ。このとき阿部和重はバックミラーで、映記君の寝顔を優しく見ているラリーの横顔を見てしまう。ラリーは自分の息子が幼い頃に離婚していて、息子と離れて暮らしていた。そのことを揶揄するようないやみをさきほど阿部和重は言ってしまったため、ラリーのその表情には「途端に胸をしめつけられ」たのだった。そして冒頭に引用したやりとりがある。

 

とまあこんな感じで、このラリーというおじさんは終始、阿部和重をどぎつく利用するんだけど、その一方で、どこか憎めない。いや、憎いんだけど、憎みきれないというか。ラリーさんいくらなんでもそりゃあんまりでしょうってことばかりなんだけれども。映記くん、ラリーに超なついてるし。

 

物語は予想も付かないような展開を見せ続け、阿部和重もまた、ラリーさんから予想も付かないような無理難題を押し付けられ続ける。ほんとラリーはひどい男。このひとわるいひと。勝手に阿部和重のアカウント情報ぬすんだりしてるし。

 

終盤、またひどい任務をやらされそうな阿部和重が、断る選択肢はないとわかりつつもそれでもあえてかまととぶってみせると、「ラリー・タイテルバウムがあわれむようなまなざしで見おろしてきている。てめえもういろいろわかってるくせにすっとぼけてんじゃねえぞ、というふうに翻訳できそうなアイコンタクトとして受けとれないでもない。(p.609より)」ですからね。ほんとひどい。

 

それでも、クライマックスと言っていいような場面において、ラリーが、すごいことをするんですよ。そこまでに至る800ページをひっくり返すような行動を取る。このときのすさまじい興奮はこの小説でしか味わえないと思った。うわーってなる。あるいは、うおーって。思わず私は立ち上がりました。

アルファード内での口論の中で、ラリーが「わたしが阿部さんにしてあげられること」として、「阿部さんやご家族の安全と安心を保障することですよ。わたしの仕事はそのためにある」と言っていたんだけど、まじだったのか。って感じ。

長い小説だけど、だからこそなのかもしれないけど、読み終わるとすごい寂しい。エンディングも、熱い。面白かったです。

 

 

『Orga(ni)sm』は、『シンセミア』『ピストルズ』にて描かれてきた山形県東根市神町を舞台にした三部作の完結編として書かれている。

治りかけのかさぶたをはがすように読み進めてしまう『シンセミア』や、奇妙に静かで不穏な『ピストルズ』ともまた違い、『Orga(ni)sm』は明るく楽しい。そしてすごい笑える、というか阿部和重さん(著者のほう)は容赦なく笑わせに来ている気がする。だから面白くて心地よくて、ずっと読んでいたいという気持ちにもなってしまう。先が気になってぐいぐい読み進めたくもなるけど。

 

完結編だけあって、なんというか「お祭り感」もすごい。ほほえみ返しなんてもんじゃないですね、なんていうんだろう、ほほえみの上をいく笑顔。超新星爆発的笑顔? 満足ですよ。

といっても、すべての謎が消え去って「オールオッケーですー」となるわけではない。もやもやは残る。JJなんでそこいるの? とか。えっとどっからどこまでが? みたいな部分も多い。これはたぶん、『シンセミア』と『ピストルズ』を読み直してみると、色々とわかるんだろうなーと思う。そういう点でも『Orga(ni)sm』は、阿部和重さんの作品群への入門としてもお勧めです。

 

そういえば阿部和重さんは『Orga(ni)sm』刊行時のインタビューで、『Orga(ni)sm』と『シンセミア』は「合わせ鏡のようにできている」と語っている。「細かく見ていくと、いろんな対応があるように組み立ててあります」と。気になる。例えばどんなのがあるのかな、と思って考えてみたんだけど、思えば私が『シンセミア』を読んだのはけっこう前で、細かい部分は忘れてしまっている。ただ、『シンセミア』の物語の真ん中あたりで洪水が起きていたのは覚えている。では『Orga(ni)sm』において洪水に対応する部分はあるのかな? と探してみると…。

『Orga(ni)sm』の物語のほぼ真ん中で、阿部和重(主人公)と映記君が、最重要人物の家をアポなし訪問してトイレ借りてて、私はここに洪水とおしっこの対応を見た気がした。違うか。

 

でもこれは合ってると思うのは、『シンセミア』の冒頭で、害鳥避けかなにかのバン! という音に合わせて、銃の引き金をひく場面がある。この部分と、『Orga(ni)sm』の終盤で、映記君が犬笛で居場所を知らせる部分は、ヒッチコックの『知りすぎていた男』を通して対応している、はず、の気がしてならない(及び腰)。

もっというと『Orga(ni)sm』のこの場面では、阿部和重(主人公のほう)は、『知りすぎていた男』の劇場でドリス・デイが音なく泣き崩れるシーンを連想させる。阿部和重ドリス・デイ説である。本文323ページには、ドリス・デイのようにあのフレーズを高らかに唄いたい誘惑にかられる」という一文も登場する。「あのフレーズ」といったらもちろん「ケーセラーセラー」だと思うんです、『知りすぎていた男』の。

 

ほかにどんな仕掛けがほどこされているのか。たしか『シンセミア』のどこかで自然発火現象みたいなのがあって、未解決だったと思うんだけど、それの答えが『Orga(ni)sm』に隠されてそうな気がしないでもない。こうなると『シンセミア』と『ピストルズ』を読み返してみるしかない。一生楽しめる三部作だと思う。

 

息子のレゴで『Orga(ni)sm』の主役3人を無理やり再現してみました。

f:id:kazuki_shoji:20210220014213j:plain

本文にもちらっとレゴとニンジャゴーという言葉が出てきます。特に前者はかなり暗示的に使われています。