Pithecanthropus Erectus

読んだ本などの感想を書いてます。

筒井康隆『脱走と追跡のサンバ』

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 原子時計研究室では、研究員らしい三人の男とひとりの女が餅搗(つ)きをしていた。

 「やあ、どうもどうも。なにね、郷里へ帰っている教授から餅米を送ってきたもので、今、搗いてるんですよ」おれの名刺にちらと視線を走らせた若い男が、陽気にそう言いながら搗きたての餅をひとつおれにさし出した。

 「いかがですか。ひとつ」

 その時、餅を搗いていた男の杵が、捏取り役の男の手を勢いよく下敷きにした。

                           「第2章 時間」より

 

ちょっと待って、俺は今いったい何を読んでいるんだ? と、冒頭から最後まで、ふと我に返りそう思わずにはいられない、狂騒的で詩的な小説である、とかって抽象的にぼんやりと語ることしか私にはできない。

 

なんというか、たとえば、すべり台の上からバスケットボールを転がした場合、いや別にバスケットボールでなくてもよくて、サッカーボールとかバレーボールとかでもいいんだけど、じゃあ、とりあえずスイカで。

イカをすべり台の上から転がすと、当然、ころころと斜面を転がり落ちて地面に投げだされる。割れたりすることもあるだろう。その割れたスイカを眺めて「ああ、割れた」と思ったり、割れたスイカをスプーンでひとくち食べて「甘い」とか言ったりするのが普通の小説だとしたら、『脱走と追跡のサンバ』の場合は、スイカがすべり台を昇っていって上に着いた瞬間に破裂する、みたいな感じ。

 

めちゃくちゃなんですよ。しかも、子供がだだをこねて「もうこんなめちゃくちゃにしちゃってー」というようなめちゃくちゃではなくて、思わず絶句してしまう、凄味の効きまくっためちゃくちゃ。そして笑っている自分の声に気がついてはっとなるのである。

 

主人公であり語り手でもある「おれ」は、この世界から以前いた世界へどうにかして脱出、脱走しようとする。そして緑の服を着た謎の男に尾行されていることに気がつく。

私は最初、この主人公の頭がおかしいのだと思いました。この世界はおかしい、嘘の世界だという妄念にとらわれてしまっている男だと思ったのです。だいたい現実と言うものは、嘘だと思いこんで見つめていると嘘に思えてしまうという、ひじょうにもろいもので、それだから陰謀論とかが跋扈すると思うのだけれど、だからこの主人公もそういうたぐいの人間だろうと。そう思ったわけである。

それでそういう人たちってのは自分が尾行されたり監視されたりしてるという思いにもとらわれがちなので、緑の服の男に尾行されているというのも、きっと勘違いなのだろうと。そう思ったわけである。

 

しかし、第1章と第2章の間に、謎の報告書が差し挟まれていて、それがどうも緑の服の男が書いた報告書らしいのである。何の報告書かというと、「おれ」の尾行を依頼してきた人への、尾行の経過報告書である。

え? 「おれ」はまじで尾行されてたの? とこの時、私は思いました。

えーっ、気になる気になる、と思って読み進めると「おれ」は尾行者から逃げまくり、時々は尾行者と入れ替わったり、急に餅つきの場面に出くわしたり、もらった餅を機器の上に置いたら餅が吸い込まれてしまって大変なことになったり、もうわけがわからない。わからなすぎて最高に楽しい。

 

中盤あたりにこんな文章が出てくる。

「この世の中にはさまざまな種類の時間がいっぱいなのだ。そういった各種の時間をいじりまわし、こねまわし、ほじくり返しているうちには、必ずやどこかに破れめ、綻びが発見でき、おれはそっから脱出することができる筈なのだ。」

これを読んで私が思ったのは、もしかしてこの主人公は、小説の中から脱出しようとしているのではないか、ということである。なんとなく。

そう考えると、脱走しようとしている主人公を追跡しているのは、私=読者ということになる。読者は物語を追いながら、まさに文字通り主人公を追いかけているというわけだ。

 

主人公は死にもの狂いで加速しながら逃げ続ける。あの手この手で読者の目をくらましたりマキビシ的なものもばら撒いて足止めを食らわせたり。

そして主人公と私=読者がたどり着いた場所は、あくまで私的な感想ですが、アクロス・ザ・ユニバースがチャカポコ・チャカポコと鳴り響く宇宙で、そこで主人公と対峙しているような感じでした。面白かったです。