Pithecanthropus Erectus

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プーシキン『スペードの女王・ベールキン物語』神西清訳

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ゲルマンは衝立のかげへ進んだ。そこには小さな鉄の寝台があり、手紙の通り右手に内房の扉が、左手には廊下へ出る扉があった。左手のを開けると、哀れな娘の部屋へ導く狭い廻り梯子が見えた。けれど彼は歩を返して、真っ暗な内房に踏み入った。

                    (「スペードの女王」より)

 

スペードの女王」は、男たちが骨牌(カルタ)遊びに興じている場面から始まる。骨牌とはたぶんトランプのことで、彼らは賭けトランプをしているのである。

 

そこで、彼らの中の一人が、自分の祖母(お金持ち)は賭けトランプで必ず勝つ方法を知っている、という話をする。その昔、サン・ジェルマン伯爵という人物から教わったという。このサン・ジェルマン伯爵というのは実在(?)した人物で、数々のいかがわしい逸話を持っている。

 

そんな話を、ゲルマンは熱心に聞いていた。ひそかに鼻息荒く。

ゲルマンはその場にいながら賭けトランプはやらない男だった。「やらないの?」と誘われても「いや、自分は、賭けとかあんま興味ないんで、はは」と断っていた(意訳です。以下同じ)。

しかしその実、ゲルマンは誰よりも賭けごとが好きで、手を出すと夢中になって後戻りできなくなるからギャンブルはしない、みたいに自分を律しているのだった。

 

でも、そんな必勝法があるなら、と考えたゲルマンは、行動に移す。

 

この行動、っていうのがすごい冷酷で、その金持ちのお婆さんに仕えているいたいけなガール(リザヴェータ)をかどわかす、というものだった。そうやってお婆さんとの接点を持ち、必勝法を教えてもらおうとしたのである。

ゲルマンはリザヴェータに何通も手紙を送り、彼女をその気にさせる。

ちなみに、牧歌的で温和な性根を持つ私は、このくだりを読んでいるときにはゲルマンの非道なたくらみには気づいておらず、「なんて胸のときめく恋愛小説なんだ!」とわくわくしていた。

 

それである時、リザヴェータはゲルマンにこんな手紙を書く。

それは、「この日にどこどこで舞踏会があるから、その後の夜更けになら密会できる、何時以降に屋敷に来てほしい、受付でこんなことを言えば中に通してもらえる、で、こう行ってこう行けば辿り着く部屋があるから、その部屋の衝立のかげに二枚の扉があって右側の扉が奥様(お金持ちのお婆さん)の部屋に通じていて、左側の扉が私の部屋に通じている、その先で待っています」みたいな手紙である。

いやこんな手紙もらったらどきどきするじゃないですか。

当然、ゲルマンもどきどきそわそわしている。違う意味で。

そして、リザヴェータの手紙の通りの手順を踏んで、例の部屋に辿り着く。

 

その部屋でゲルマンは、燈火に照らされた箱(櫃)を見つける。

黄金の火に照らされたその箱の中には、「古びた聖者の画像で満ち」ていたという。

この文章の意味するところが私にはよく分からなくて、青空文庫にある岡本綺堂訳の同所を探ってみると、またちょっと違った解釈の訳し方をしていて、うーん、となったのだが、たぶんここでゲルマンが目にしたものは「聖者の古びた像もしくは古びた画像、でいっぱいになった箱的ないれもの」とみていいだろうと思う。

つまり、なんだかありがたいもの、敬虔な気持ちになってしかるべきようなもの、を見た、と言えるだろう。

思えばゲルマンはここで逡巡しても良さそうなものである。一切しなかったけど。

この場面に、欲に取りつかれたゲルマンのおそろしさとあさましさと本気っぷりが凝縮されている気がして、とても印象深い。

 

それで、この部屋の衝立の向こうにある二つの扉の前に来たゲルマンは、この記事の冒頭に引用した行動を取る。つまり彼は、可憐なリザヴェータの元へ行くのではなく、お婆さんの方を選んだ。

ここを読んで私は度肝を抜かれた。

私の頭の中では「いや、そっち!?」という言葉が東京ホテイソンのツッコミの人の声で鳴り響いた。

 

そこから物語は急転直下、緊張し鼓動が速くなり、さあどうなるっ、の果てに女王が妖しく微笑むくだりは鮮やかでかっこいい。

スペードの女王」はかっこいい小説だった。

 

「ベールキン物語」も面白かったです。