Pithecanthropus Erectus

読んだ本などの感想を書いてます。

メーテルリンク『青い鳥』堀口大學訳

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チルチル (驚いて)あなたたち、どうして泣いてるの? (他の「喜び」たちを見回して)おや、みんな泣いてるの? どうしてみんな、目にいっぱい涙をためてるの?

光    黙って、ね、いい子だから。 (p.178)

 

クリスマスの夜。

チルチル(兄)とミチル(妹)は眠れずに、部屋の中で話をしている。

サンタのおじいさん、うちには来ないらしいよ、みたいな話である。

向かいの家には金持ちが住んでいる。

二人は部屋の窓から、その金持ちの家を覗いてみると、子供たちが豪勢なパーティーを開いている。お菓子もオモチャも溢れている。

お菓子、おいしそうだなー楽しそうだなーいいなーいいなーと二人は眺めている。

そんな二人の部屋へ、とつぜん妖女がやってくる。

 

妖女は二人に、「青い鳥」を探して来い、と言う。

なぜなら妖女の娘が病気だから。って、随分と無茶な理由である。

だったら妖女が自分で探しに行けばいいじゃないかと思うけど、

鍋を火にかけている最中だからそれはできないらしい。

 

それでチルチルとミチルは、妖女から魔法の帽子をもらって、

青い鳥を探しに、部屋の窓から外に出る。

イヌ、ネコ、パン、砂糖、水、火、光といった仲間と共に。

 

興味深いのは、二人が家を出た後に、両親が子供たちの様子を見るために部屋を覗く場面が描かれていることである。

そこでとうさんチルとかあさんチルは、「子供たち、いる?」「いる」「寝てる?」「寝てる。寝息が聞こえる」みたいな会話をかわす。

部屋の中は暗い。

ふたりの寝台は闇に包まれているというト書きもある。

半開きになったドアから漏れる光だけで、果たしてその寝台にどれだけの明かりが差しただろうか。

ここに、チルチルとミチルは、本当に外出したのか=青い鳥を探す旅に出たのかという疑問符を貼りつけたくなる憎らしい余白が残されている。と私には思える。

ずっと家にいたんじゃないの? ということである。

 

それは、この物語は夢オチだったんだ、というありがちなことを言いたいのではない。

私が言いたいのは、これはチルチルとミチルの臨死体験童話なのではないか、ということである。死と復活の物語である。

 

二人が手始めに訪れた場所は、おじいさんとおばあさんのところなのだ。

おじいさんとおばあさんはとっくに死んでいる。

同じく死んだ弟妹たちとも会う。死者たちはここで元気に暮らしている。

 

なんだかんだあってそのあと二人は、墓地を訪れる。

 

魔法の帽子の力で、墓地は美しい花園に変わる。

とても劇的な場面である。

そして先祖&花畑なんて、臨死体験の典型じゃないですかと私は思う。

 

ここ以降、登場キャラの「光」の出番が一気に増える。

そしてネガフィルムに光を透かすとポジになるように、色んな反転が起きる。と私は感じた。それは「死」と「生」が置き換わるような。墓場が花畑になるような反転。

 

冒頭の金持ちキッズらのアナロジーとして登場しているとしか思えない「ふとりかえった幸福たち」の幸福じゃない感じ。ここでも反転が起きている。

じゃあ本当の幸福はなに? ってなるわけだけど。

銀河鉄道の夜』的ですよね。

 

それからまたなんだかんだあって、チルチルとミチルは、これから生まれてくる子供たちがいる国を訪れる。

ここの国の子供たちが「出航」する時、「深淵の底からわき上るような喜びと希望の歌が、遠い遠いかなたから聞こえてくる」とあるんだけど、なんかこういうのも『銀河鉄道の夜』的な気がする。こういう場面なかったっけ?

 

それはともかく、死と、あらたな命の誕生を見てきたチルチルとミチルは、

愛すべき仲間たちとの別れを経て、目覚める。

 

そして起こしに来た母親に、死んだおじいさんおばあさん弟妹にあった、とか、花園でお母さんに会った、とか言う。

 

この、花園で母と会う場面なんだけど、臨死体験のパターンだと、「こっちへ来ちゃいけないよー」ってところじゃないですか。

この花園での母の台詞には、それを連想させるものは見当たらないんだけど、しかし、この場面の終わりに、「光」が「もう帰ります」みたいなことを言う。

そして、母は「光」に感謝し、「もののわかる喜び」も含めて、チルチルとミチル以外、みんな涙する…。謎めいて、素晴らしいシーンだと思う。

ところで「光」たちやチルチルとミチルはどこに帰るというのか? それはやはり「あの世」から「この世」へとではないでしょうか。

やはり臨死体験的なのである。

 

そうして、生還したチルチルとミチルにとっては、なんだか世界が違って見えた。

青い鳥は家の中にいた。

妖女そっくりの隣のばあさんの病気の娘に、青い鳥をあげた。

娘は元気になった。

そして青い鳥は、逃げていった。

青い鳥をみつけたらぼくたちに返してね、とチルチルが客席に呼びかけて物語は幕となる。

 

端的に言えば、臨死体験を経て命の尊さを強烈に再認識する物語だと私は思った。

そしてその尊さというものは、命だけじゃなくて、パンにだって砂糖にだって、イヌやネコにも、あらゆるものに宿っていて、それに気づいてね、そういう、ネガフィルムを透かす光のような眼差しをどうか持ってくださいね、と言われたような気がしました。

そして私は、そういう眼差しを持とう、と思いました。