Pithecanthropus Erectus

読んだ本などの感想を書いてます。

永井均『子どものための哲学対話』内田かずひろ 絵

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ペネトレ:(前略)なんにも意味のあることをしていなくても、ほかのだれにも認めてもらわなくても、ただ存在しているだけで満ちたりているってことなんだよ。それが上品ってことでもあるんだ。根が暗いっていうのはその逆でね、なにか意味のあることをしたり、ほかのだれかに認めてもらわなくては、満たされない人のことなんだ。それが下品ってことさ。

(p.22-24)

 

小学五年生から中学一年生くらいの年齢の「ぼく」と、「ぼく」の家にすみついている「ペネトレ」という猫の、対話の記録。

「ぼく」の疑問にたいして、「ペネトレ」が答える。

 

「ぼく」の問いはあくまで素朴だ。夏休みこども電話相談、みたいな番組に寄せられそうなものばかりである。

しかし素朴であるがゆえに、そう簡単に答えの出ないような、たいていの大人がたじろぐような、そんな質問ばかりである。

 

しかし猫の「ペネトレ」は違う。彼の答えにはある種の爽快さを覚える。快刀乱麻を断つ感じ。

たとえるなら、「ぼく」が提出するこんがらがった糸玉を、一本一本みごとに解きほぐしながら、「なぜここでこういう絡まりかたをするのか」や「この糸はなにでできているのか」を説明していき、最終的には机の上に、糸玉を構成していた、長さも色も違ういろんな種類の糸がきれいに並べられ、「で、きみはこれを見てどう思うかな?」と聞かれるような、そんな感じなのである、「ペネトレ」の回答は。

 

これがなぜ爽快なのかというと、頭の中がすっきりするからだと思う。もやもやが整理整頓されるわけである。

 

なぜ、こんな得難い経験ができるのだろうかと私は考えてみたんだけど、「ペネトレ」の言葉づかいにその理由があるのではないかと思った。

 

ペネトレ」は、かなり周到な言葉選びをしている。

なんというか、「使い勝手のよい便利な言葉」を、注意深く避けている気がする。

そういう便利な言葉は、簡単に手軽に使えるんだけど、だからこそ大雑把さみたいなのがあって、12色の色鉛筆で写生する時に微妙な色彩は描けないような、そういう「取りこぼし」が発生しがちなものだと思う。

じゃあ、より難解な言葉遣いでいきましょうか、800万色の解像度で答えますよ、となりそうなものだけど「ペネトレ」はそうはしない。

ペネトレ」が手にしているのはえんぴつ一本だけである。

 

彼は注意深く言葉を使う。

たとえば「価値観」というものを説明するときに(たぶん価値観のことを言っていると思う)「人間にとってほんとうにたいせつなことはなにか、っていうことについての、根本的な考え(p.49)」と言ったりする。かっこいい。しびれる…。

 

こんな短く優しい文章で、もう一気に色んなことを考えさせられる。

自分がこれを好きなのは、こうでこうでこうだからなわけだけど、でもなぜ、これがいいかというと、ここのこのところがたいせつだからで、で、このたいせつさは他の人のばあいには…。

みたいな、およそ「価値観」という旧道沿いに立つ色褪せた看板みたいな言葉では、到底実現しえないような考え方の広がりがもたらされるわけである。

 

こういう文章が本書にはぎっしり詰まっている。

読みやすくて、口当たりもまろやか、しかし噛んだ時の味はにがい。

ペネトレ」、おそろしい猫である。