Pithecanthropus Erectus

読んだ本などの感想を書いてます。

トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の彗星』下村隆一訳

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「ぼく、スニフをさがしにいかなくちゃ。まにあうように、とけいをかしてね」

「いけない。この人を外へやらないで!」

 と、スノークのおじょうさんはさけびましたが、ムーミンママはいいました。

「これは、しなくちゃならないことよ。いそいで、できるだけ早く」

(p,227-228)

 

この地球のどこかに、ムーミン谷という美しい場所があって、そこでは、ちょっと変わった色んな人たちが暮らしている。

そしてそこ目がけて、地球をほろぼす巨大な彗星が迫って来ていた…。

 

第1章では、ムーミン谷の自然の美しさがたくさん描かれている。

川、野原、森、そして海。

ムーミントロールが海にもぐる場面なんて、挿絵の効果も相まって、もうきらきらしている。

いいなあと思う。

 

しかしそんな素敵なムーミン谷がそうやって輝いて見えるのは第1章だけである。

第2章からは、「すべてのものが、どす黒」くなる。

「空や川ばかりではありません。庭も、地面も、家も。みんな、まるでどす黒い、この世のものと思えないほど、気味悪いようすをしてい」るのだという。(p.35)

なぜそんなふうになってしまったかというと、(彗星がぶつかって)地球がほろびるから。

わけあってムーミントロールの家に寝泊まりしていた「じゃこうねずみ」がそう言うのだった。

 

地球がほろぶ!

大変である。一大事である。ムーミントロールとスニフ(カンガルーを小さくしたような生き物)はすっかり怯えてしまっている。

こういうとき、親はどうすればいいのだろう? 圧倒的な、どうにもならない恐怖を前にして震える子供たちに、親は、どういう行動をとるべきなのか。

私だったら、「そんなこともある」とか、気休めにもならないたわごとを弄してしまう気がするけど、では、ムーミンママとムーミンパパの場合はどうだったか。

 

「あの子たちに、なにかさせないといけませんわ。二人とも、あそぼうともしませんもの。じゃこうねずみにいわれて、この地球がほろびることしか、考えられないんですわ」

 こうムーミンママは、心配そうにムーミンパパにいいました。

「子供たちを、しばらくよそへいかせようと思うんだ。じゃこうねずみが、天文台のことをいっておるしな」

 と、パパが言いました。(p.41)

 

まじか。ずいぶんとハードボイルドな対応である。

しかもその天文台は、「すこし川をくだったところにあるp.42)」とかって、まるで少し遠めのコンビニに行かせるような感じである。

実際はそんな簡単に行ける場所ではなく、命がけの旅になるのだけれども。

ただ、ムーミンパパはそんな大変な場所に天文台があるとは知らなくて、じゃこうねずみからそんなふうに聞いていたから、ちょっと行かせるにはちょうどいいかなと思ったみたいだけれども。

 

そしてムーミンママから、天文台までちょっと旅しておいで、と言われたムーミントロールとスニフは当然、嫌がる。

でも、天文台で星を観測すれば、みんなが助かる、ママも安心できる、と諭されて、ムーミントロールは立ち上がる。かっこいい。

こうしてムーミントロールとスニフの冒険が始まる。

 

天文台に行って帰ってくるまでの道中で、色んな危ない目にも遭い、少し変わっているけれど愛すべきキャラクターたちとも出会い、素敵なダンスパーティに参加したりしている。

そしてその間もずっと、彗星は接近し続け、空は赤くなり大地は干上がり、大変なことになっている。

 

元は海だった場所を、長い竹馬で皆がわたるシーンは強烈である。

表紙にも描かれている場面で、心細くて絶望的なんだけど、なぜかそんなに緊張感は走っていなくて、どことなくユーモラスである。

俺は今すごいものを読んでいる、と私は思った。

 

クライマックス直前、わけあってスニフは森の奥に入りこむ。

そして気がつくと行き止まりに迷い込んでしまう。

空は真っ赤、「森の木は、赤い紙からきりぬかれたように見え(p.225)」て、地面は熱い。恐ろしい状況である。スニフは震えてしまう。

 

第1章で、まだ彗星が出てくる前にも、スニフは森の中で行き止まりにぶつかっている。ムーミントロールと一緒に。

そしてこの時は、ムーミントロールが目の前のこけやしだを突っ切って道なき道を抜けると、海にたどり着いたのだった。

 

しかし、今のこの地獄のような赤い森に、ムーミントロールはいないし、道のないところを突っ切ったとしても、どこにも辿り着かないだろう。

もしその先に海があったとしても、それはかつての海であり、とっくに干上がった現在はいやなにおいしかしない。

 

この物語の冒頭に、スニフのモノローグが出てくる。

(道や川って、ふしぎなものだなあ。(中略)どこまでつづいているのか、つけていってみたい……)(p.8)

こんなふうに素朴に思っていたスニフが、どこにもつづかない、この地獄のどんづまりみたいなところで震えながら、悲しんでいる。

残酷である。助かってくれ、と思う。

 

そしてこの後は劇的なシーンの連続で、私はもうこれから先ずっと、この情景を忘れることはない気がする。この作品を読めてよかった。