Pithecanthropus Erectus

読んだ本などの感想を書いてます。

手塚治虫『火の鳥9 異形編・生命編』

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あれは この場所が とざされた世界だからです

ここでは…時間(とき)が狂い 逆行もいたします

(p.15とp.111)

 

『異形編』の主人公はとある女性。

彼女は幼少期より父親から虐待を受けていた。

成長した彼女は、「父親の病気を治させない」ために、「父親の病気を治そうとする女性」を斬り殺してしまう。

 

そして彼女が殺したその「父親の病気を治そうとする女性」とはなんと、

三十年後の自分自身だったのだ。

 

なぜそんなことがありえるのかというと、なんというか、彼女が「時空のるつぼ」みたいな空間に足を踏み入れてしまい、殺人もその空間で行われたから、だと思う。

彼女はその空間から基本的に外で出ることはできない。

三十年後、自分が自分を殺しにくるのを待つしかない。

そういう閉じた場所なのである。

 

しかしその閉じられた空間には来訪者が絶えない。

みな、彼女に「治癒」してもらうためにやってくる。

はじめは意味が分からなった彼女だが、やがて、火の鳥の羽を使えば怪我や病気を治せることを知る。

 

そしていつしか、「異形」のものたちもまた、彼女の元を訪れ、「治癒」を求めるのだった。

すごい見た目のばけものたちばかりだが、彼女は物怖じすることなく、かれらの治癒を続ける。

 

彼女の夢に火の鳥があらわれる。そして次のようなことを告げる。

 

あなたは人を殺した。罰として、あなたは自分に殺される。

そのサイクルを永遠に繰り返さなければならない。

抜け出すことはできない。

いろんなものたちがあなたに救いを求めてくる。

それらの命を無限に救い続けなければならない。

無限に。

そのうちもしかしたら、あなたの罪が消えて、この死のサイクルから抜け出せる日が来るかもしれない。

もしかしたらね。

 

とまあだいたいこんなことを火の鳥は言う。

それで思ったんだんだけど、この異形のものたちはなぜ登場したのだろう?

この、傷ついたばけものたちを癒すというくだりは、なぜ必要だったのか?

 

彼女のいる空間は、とにかく閉じた世界なのだ。

はじまりからおわりまで自分だけで完結しているような世界なのである。

とすると、その手負いのばけものたちもまた、彼女自身であると読み取ることはできないだろうか。

 

父親からの虐待で傷つき、歪んだ心が「異形」たちになって表れた、と考えてみる。

そのばけものたちを彼女自身が「治癒」し続ける。

それが、自分を殺してしまった彼女に、火の鳥が与えた仕事であり、「罰」でもある。

罪が消えた時とは、彼女の傷が癒えたときに他ならないのではないだろうか。

だとすれば、彼女の夢に現れた火の鳥の言葉は「心が回復するまで、ゆっくりとそこで過ごすといいよ」と解釈することができなくもない気がする。

 

『生命編』では、主人公が、大量生産されている自分のクローンたちを終わらせるために、クローン工場もろとも自爆する、という壮絶な選択をする。

 

『異形編』がひたすら自分と向き合い、癒し続ける話だとしたら、

『生命編』は自分が本物だろうが偽物(クローン)だろうが、命の価値は同じですよね、と訴える話だと思う。

ですよねー、って簡単に同意してしまいがちだけど、でもたぶん技術的にそういうクローンみたいなのが現実になっている今の世の中、難しい問題になりつつある気がします。『わたしを離さないで』的な…。