Pithecanthropus Erectus

読んだ本などの感想を書いてます。

手塚治虫『火の鳥11 太陽編 下』

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そうだ 今の私はもう人間じゃない

肉体はもう死んだんだ

(p.397)

 

残り数ページのところで、マリモという名の狼が、草原を疾走し、異空間のようなところに飛び込んで、狼化したスグルのもとへ辿り着く場面が見開きで描かれている。

 

私はそこからページをめくることができずにいた。

走るマリモの体の躍動感と、真剣な眼差しに目を奪われていたというのもある。

ここには有無を言わせぬ迫力がある。その迫力に気圧されていたというのもある。

しかし私が固まってしまった最大の理由は、もう少しで『火の鳥』が終わってしまうことに気がつき、うろたえてしまったからである。

あ、終わる。え、ちょっと、どうしよう。俺はどうすればいいのだ? って。

とはいえ、読み進めないという選択肢はないので、結局はページをめくったのだけれども。

 

地下に潜入するために高層ビルをよじ登っていたスグルは、なんだかんだのすえに地下で監禁されている火の鳥を手に入れた。と思ったらそれはダミーで、スグルは捕まり、海の底の洗脳施設に送り込まれてしまう。

 

超高層ビルの最上階から地下、さらに深海までと、冒頭から20数ページでとてつもなく激しい落差である。

 

そして過去と未来の時代の行き来もより激しくなる。

なんというか、カードの表側に鳥の絵、裏側には鳥かごの絵が描いてあって、そのカードに棒をつけて、その棒をくるくる回すと、カードの裏と表の絵がくるくる回り、目の錯覚で、鳥が鳥かごの中に入っているように見える。という遊びがあるけれど、そんな感じである。

つまり、そのように未来と過去が激しく入れ替わって描かれるうちに、未来と過去がひとつになってしまう。過去の狼マスクの男が、未来の景色の中にいる。おそろしいことです。

 

物語はもうイメージの大爆発群というか、ずっと沸騰してる鍋というか…。ぼこぼこと煮立ち破裂する気泡から次々と飛び出してくる悲劇、愚かさ、優しさ、醜さ、勇ましさ、浅ましさ、美しさ、そして無数の言語化しえないものたちに圧倒される。

 

上巻では沈黙していた火の鳥も、下巻ではたくさん登場して大活躍だった。

 

ところで、『羽衣編』=完結編説、を勝手に唱えている私ですが、この記事の冒頭で引用したセリフは、『羽衣編』の最後の絵にかかっていると思いませんか?

あの絵に私が感じたのは、「なきがらの冷たさ」=死そのもの、だった。

しかし、あの無音の絵に、上記の引用箇所以降のセリフをオフで重ねてみると(『望郷編』のラストのように)、死はその先の永遠に繋がっている、というメッセージが浮かび上がってくる気がする。

最後、スグルの脇に立っていた一本の木は、『羽衣編』の松の木の生まれ変わりとも言えなくなくはなくもない気がしないでもない。

それはさておき、きっと手塚治虫さんもどこか永遠的な場所で、『火の鳥』の続きを描きまくっているんだろうなと思う。

そして、そこでもまだ完結していないような気がします…。