トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の冬』山室静訳
悪気なく明るい、そういう人が世の中に一定数は存在している。
暴力的にほがらかで、情け容赦なく親切で、うんざりするほど優しい人たち。
彼らにうしろめたさを抱くようなナイーブな時期もかつての私にはあったが、きっと、ムーミントロールがヘムレンさんに覚えた気持ちも、私と同じようなものではないかと思った。
舞台は冬のムーミン谷。
いつも冬眠して春を迎えるムーミン一家だが、とある夜に、ムーミントロールだけが冬眠から目覚めてしまう。
皆が寝静まる家の中でムーミンは孤独を感じる。
厚い雪に覆われている外を歩きまわる。
誰もいないように思われたけど、「おしゃまさん」という女性と出会う。
含蓄に富みまくった彼女の言葉はどれも魅力的である。
「ものごとってものは、みんな、とてもあいまいなものよ。まさにそのことが、わたしを安心させるんだけれどもね」(p.31-32)
こんな感じ。かっこいいですよね。彼女はこんなのを連発しまくる。
ところで上記の彼女のセリフは、「夜」について語っているのではないかと私は思った。
なにもかもくっきりしている昼とは違い、闇に包まれて輪郭さえもあやうくなりかねない夜。なんだかよくわからない異形のものたちがうごめき、目に見えない透明ななにかが普通に接客したりする、ムーミン谷の冬の夜。
そんな夜っていいよね、と彼女は言っているわけだ、たぶん。
ムーミンはけっこう彼女に反発というか、いらだちを覚えていたりするんだけど、なんとなくうまくやるようになっていく。
で、色々あって、隣村みたいなところから避難民が大量に押し寄せてきて、ムーミントロールは彼らを自分の家にかくまったりする。
そこへ、ラッパを吹き鳴らしながらスキーに乗ったヘムレンさんがやってくるのだ。衝撃的な登場シーンである。
明るくて元気いっぱいでほがらかなヘムレンさんのことを、ムーミントロールは好きになれないと思う。そんなことを思う自分に戸惑いつつも、ムーミントロールは、「おしゃまさん」もまた、ヘムレンさんのことを好いていないことを知る。
それでどうするのかというと、おそろしいことに、ムーミントロールは「おしゃまさん」と協力して、ヘムレンさんを追い出そうと画策するのだ。
それは、スキーが大好きなヘムレンさんに、「おさびし山」という山は絶好のスキースポットだから絶対にそっちに行った方がいい、と勧める作戦だった。じっさいには、「おさびし山」は雪すら積もっていないとても危険な場所で、そんなところでスキーをしたら、大惨事にもなりかねないのだった。
それをわかったうえで、ヘムレンさんに「おさびし山」を勧めるというのである。
ちなみにこの二人の邪悪な作戦会議を、ヘムレンさんをひそかに慕っていたサロメちゃんがこっそりと聞いていて、このことはのちほどとてつもない劇的な展開につながってゆく…。
それはさておき、ムーミントロールは、その邪悪な作戦を実行に移したのだろうか。
彼はやましさをかかえつつ、実行に移したのである。しかし。
ヘムレンさんはあくまで、どこまでも明るくほがらかだったのだ。
「ぼくのスキーのことを考えてくれるなんて、きみは、なんてやさしいんだろう」
ムーミントロールは、そんなヘムレンさんをあきれて見つめました。もうだめでした。彼は、思わず声をはりあげてさけびました。
「だけど、あそこの山は、きけんなんですよ」(p.151)
ここから、ムーミントロールは自分の発言をつぎつぎと否定していく。
あそこの山は、まるでだめでした、よく考えたら、雪つもってないし、いまきゅうに思い出したんですけどね…みたいな感じで。
で、ヘムレンさんは相変わらずほがらかで、「じゃあここにいるよ」とか答えている。
後ほどわかるけど「おしゃまさん」も、ヘムレンさんのことを好きになり始めていて、だから彼を追い出さなくて良かったのだ。
ヘムレンさんを追い出さずにすんだムーミントロールは、とても気分が軽やかになり、そこに雪が降ってくる。そして物凄く感動し、「冬だって好きになれる」と思う。
冬眠というまどろみから「目覚め」てしまったムーミントロールは、「冬=夜=自分の中のあいまいで暗い部分」にとまどい、ダークサイドに堕ちそうになるのだけれど、ヘムレンさんの底抜けの「明るさ」により踏みとどまり、「冬(自分の暗い部分)だって好きになれる」と思い、春の訪れを待つ。
これを、自我が芽生え、思春期特有の自己嫌悪や苦悩に苛まれたムーミントロールが、色々あって自分を好きと思えるようになった、と読むことはできないだろうか。というかそうとしか読めない。
「どんなことでも、自分で見つけださなきゃいけないものよ。そうして、自分ひとりで、それをのりこえるんだわ」(p.186)
とは、もちろん「おしゃまさん」のセリフである。相変わらずかっこいい。
やがて春を迎えたムーミントロールは、次のようなことを思う。これは上記の「おしゃまさん」のセリフに対応している、と私は思う。
彼は考えていたのです――春というものは、よそよそしい、いじのわるい世界から、自分をすくいだしてくれるものだと。ところが、いまそこにきているのは、彼が自分で手にいれて、自分のものにしたあたらしい経験の、ごく自然なつづきだったではありませんか。(p.183-184)
思春期の苦しいもやもやから救われるには、自分でなんとかするしかないんだよ、それで、大人になって振り返ってみると、劇的なことがあったわけではないけれど、なんか自然な流れでいつのまにか思春期を抜けて大人になっていたではありませんか。
と書いてあるように私には思えた。
ヘムレンさんとサロメちゃんの超ドラマが展開する。
本書のハイライトはここではないかというくらい、熱く、胸を打つ場面である。
物語にずっと暗い影を落としていた「りすの死」も、思わぬハッピーな展開を見せ、
大団円で幕を閉じる。
そういうことができるほど、彼は大人になったのだろう。