Pithecanthropus Erectus

読んだ本などの感想を書いてます。

燃え殻 二村ヒトシ『深夜、生命線をそっと足す』


 思春期をしくじって大人になった人間の多くがそうであるように、私もまた、生真面目な性格をしている。責任感も強い。

 と、自分で自分のことを立派な人間のように語ることの厚かましさ、格好悪さ、鼻持ちならなさ、は分かったうえでも言わなきゃやってられないような世の中である。

 生きづらいなあ、と声を大にしては言いにくい年齢になってしまった私だが、でも、少なくとも生きやすくはないですよね、と、ふんわりした感想くらいだったら口にしても良いだろう。まったく毎日がくたびれるよ。

 しかし、『深夜、生命線をそっと足す』を読んだら少し気持ちがほぐれて、楽になった。血行も良くなった気がする。

 

 本書に収録されている燃え殻さんによる「まえがき」がこちらで読める。これを読むとこの本が読みたくなりませんか? 私はなった。それで、読んだ。面白かった。

 序盤、二人は死について語る。しかもだいぶ重い。静かに、たんたんと語られるいくつかの死。それはまるで「死生観の地固め」をしているようにも思える。そもそも「まえがき」でも死について触れられていた。本書は死から始まっている。「まえがき」の舞台は法事だった。

 そうして出来上がった死生観の地面の上で、二人の対話が静かに展開されていく。軽妙なようでシリアスで、下ネタかと思いきや滋味深い箴言に辿り着いたりする。なんとも不思議な対話である。そして気づく。一見すると対立するように見えるそれら(軽妙と深刻、下ネタと人生訓、みたいな)が、本書の中で絶妙に融合している。こういうのを、止揚、と呼ぶのではなかったか。そういう意味では本書は哲学書と言えるのかもしれない。「馬鹿ばかしさのまっただ中で犬死しないための方法序説(by庄司薫)」なんて言葉を連想したりもした。

 

 燃え殻さんの、悲壮感さえ漂う誠実さに対する、二村ヒトシさんの「剣の達人」的なやりとりがとても面白い。というか感動した。

 私が個人的に最も心を動かされたのは、p.173-174のやりとり。この時、燃え殻さんはいつにもまして自己否定的で、塞ぎ込んでいるように見える。これ、もし自分が友達から面と向かってこんな「自責の念の固まり」みたいなことを言われたら、なんて返すだろう? 返答に困って、10分間くらい考え込んで、苦し紛れに「でも、まあ、そんなことないよ」とか、「それだったら何も言わないほうがましだった」みたいなことしか言えないと思う。

 では、「剣の達人」二村さんは何と返したか? 私はここのくだりで声をあげて笑いました。えー!? って。そしてそのあと泣きそうになった。なんだかとてつもない、凄みのある優しさに触れた気がしたから。

 

 燃え殻さんの「まえがき」で始まった本書は、二村ヒトシさんの「あとがき」で終わる。ここでボブ・マーリーの「no woman no cry」が登場する。本書のエンディングテーマと見てよいだろう。ここでこの曲の歌詞について二村さんは書いている。

 ここから先は私の思い込みだけど、むしろここで(もしかしたら照れくささ=含羞もあって)触れなかった歌詞、Everything’s  gonna be alright こそが、本書と燃え殻さん、そして読者に暗に捧げているのではないだろうか。「まえがき」で紹介されている「君はすてきだから大丈夫」という二村さんのセリフと対応しているようにも見える。なんて情熱的で、優しい本なのだろうと思う。

 ふと手をみたら、私の生命線は少し伸びていた。