Pithecanthropus Erectus

読んだ本などの感想を書いてます。

太田静子『斜陽日記』

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「でも、今日の夕方は、とても、うつくしい夕焼だったわ。夕焼は、明日いいお天気になるという証拠でしょう? きっと、お天気になりますわ。(後略)」

 

「相模曾我日記」と題して太田静子さんが付けていた日記帳は、彼女自身の手によって太宰治に渡され、太宰はこの日記をヒップホップ的な意味でサンプリングしつつ、傑作『斜陽』を書いた。『斜陽』出版後、太宰が死んだのちに、この日記は『斜陽日記』として世に出た。

 

 読んで、とても面白かった。なんというか、太宰がいかに太田静子さんの文章を再現しつつ『斜陽』を書いたか、その再現力の高さに恐怖を覚えたりもした。そして、これは『斜陽』のクレジットに太田静子さんの名を加えるべきだとも思ったりした。ジョン・レノンが後年、「イマジン」の共作者にオノ・ヨーコの名を加えたように。

 

『斜陽』の文章が魅力的なのは、それは、太田静子さんの文章が魅力的だからである。かず子が魅力的なのは、それは太田静子さんが魅力的だからである。つまり、『斜陽日記』の魅力は、『斜陽』で完ぺきに再現されているということだ。

 

 ところで、太宰はなぜ、「相模曾我日記」に、「斜陽」というタイトルを与えて小説化したのだろうか。

 

「相模曾我日記」の印象的な場面のひとつに、この記事の冒頭で引用した夕焼の場面がある。とても美しく素敵なこの場面を、意外なことに太宰は『斜陽』で再現していない。

 え? なんでこのシーンをカットしちゃったの? と私は驚いたものだが、しかし、よく考えてみると、この美しい夕焼の場面は、タイトルの「斜陽」という言葉に配置されたのではないかと思うのだ。

 

 つまり、「斜陽」というタイトルが意味するところは、没落とかそういうものではなく、「明日いいお天気になるという証拠」だったのではないだろうか。そう考えると、『斜陽』のエンディングの感じともうまく合致するような気がする。

 太田治子さんの解説も含め、『斜陽』の存在を度外視してても必読の一冊であると思う。