Pithecanthropus Erectus

読んだ本などの感想を書いてます。

太宰治『斜陽』

 上原さんは、ふふ、とお笑いになって、

「でも、もう、おそいなあ。黄昏だ」

「朝ですわ」

 弟の直治は、その朝に自殺していた。(『斜陽』p.181)

 

『斜陽』はこれまで何度も読み返してきた作品だが、その『斜陽』のサンプリング元として知られる太田静子さんの『斜陽日記(相模曾我日記)』は、今回、初めて読んだ。

 ふたつの作品は、かたや小説、かたや日記ということで当然、大きく違うわけだけれども、似ている部分もあるし、そっくりそのままの部分もある。

 なにより私が驚かされたのは、『斜陽日記』の文章の感じというか「声」が、『斜陽』で完全に再現されている(と私には思えた)というところである。

 つまり、『斜陽日記』も『斜陽』も、同じ人が書いた文章のように思えるということだ。じっさいには『斜陽日記』が先にあり、それを参照しつつ『斜陽』が書かれたわけだから、ふたつの作品の書き手は別人であり、太宰治が太田静子さんの「声マネ」をしていたということになるのだけれども、その声帯模写のみならず心象模写までを完ぺきにこなしてしまう物まね力には、むしろ恐怖を覚えるほどである。

 

 それで、私は『斜陽』のなかでも特に「かず子がっかり」というフレーズが大好きだったので、この言葉が、太宰治と太田静子さんのどちらが生み出したものなのかを知りたかった。

 結果はというと、「かず子がっかり」という言葉は『斜陽日記』には出てこない。つまり太宰のオリジナルということになるのだが、しかし、ことはそう単純ではない。

 なぜかというと、「かず子がっかり」は、その前段階として「かず子べったり」というセリフが登場していて、それを受けての「かず子がっかり」となるわけだが、その「かず子べったり」と同じセリフは、『斜陽日記』に登場するのである、「静子べったり」として。

 しかし『斜陽日記』に「静子がっかり」は出てこない。そして『斜陽』には、「かず子がっかり」が出てくる。つまりそういう意味では「かず子がっかり」は太宰のオリジナルだが、でも明らかに「静子べったり」にインスパイアされていますよね、という感じなのである。書いていて、すごいややこしいけれども。

 

 このように『斜陽』には、『斜陽日記』とそっくり同じような場面でも、文章に微妙なアレンジが加えられている箇所がある。

「ここのところはこういうふうに書き改めたり、書き加えたりしたほうがいいよねー」みたいなノリでアレンジされたところもあるのかもしれないけれども、しかし、じつは、その違いにこそ、作者のまさに「作為」を見てとることができる、と読むことができなくもないと私は思うのだ。ここにひめごとが露わになっている、というわけだ。

 

 「(前略)ところがね、お母さま、たった一つあったの。おわかりにならないでしょう。他の生き物には絶対に無くて、人間にだけあるもの。それはね、ひめごと、というものよ。いかが?」(『斜陽』p.64)

 

 さて、『斜陽』の序盤に、蛇の卵を焼くという印象的なくだりが登場する。これは『斜陽日記』にもほぼ同じ形で登場しているが、『斜陽』ではこの場面に、見過ごすことのできないアレンジがさりげなく加えられている。夕日である。

 

 夕日がお母さまのお顔に当って、お母さまのお眼が青いくらいに光って見えて、その幽かに怒りを帯びたようなお顔は、飛びつきたいほどに美しかった。(『斜陽』p.20)

 

 暗い御堂のなかで、お母さまの眼が光ってみえた。ああ、お母さまは何処かあの蛇に似ていらっしゃる、と思った。近よると、その幽かに、怒りを帯びたようなお顔が、飛びつきたいほど美しかった。(『斜陽日記』)

 

 なんとも興味深い差異である、と言えないだろうか。

『斜陽日記』では、「暗い御堂」でお母さまの眼が光っているのである。しかし『斜陽』では、お母さまの眼は、「夕日」に当たって青く光っている。

 他にも、お母さまが息を引き取る場面。『斜陽日記』では、お母さまは「冬の割に暖かいしずかな夜」に亡くなっているが、『斜陽』では、「秋のしずかな黄昏」に亡くなっている。

『斜陽日記』にはない「夕日」が、『斜陽』ではあえて加えられている。弟の直治の日記は「夕顔日記」だし(ちなみに直治は「夏の夕暮」に復員して来ているが、『斜陽日記』では弟の武が復員して来るのは朝である)。

 

 では、太宰はこれらの場面でなぜ、「夕日」という演出を加える必要があったのだろうか。

 

 沈みゆく太陽に貴族の没落を重ね合わせたかったのだろうか。滅びの美学。たそがれ。諸行無常。はかない。うたてけれ。悲しいよね、でも、美しいっすよね、タイトルの『斜陽』、言い得て妙だよね。って、そんなの、あまりにも安直すぎやしないか、と私は思うのである。

 

 私が思うに、この夕日は、没落を暗示するためというよりもむしろ、けっこうポップさを狙った演出だったのではないだろうか。重要な場面で感動的な劇伴を流すような、ドラマをわかりやすく盛り上げる装置としての夕日。『斜陽』は当時、ベストセラーになったらしいけれども、それはやはりこういう分かりやすい演出が大衆に受けたということなのではと私は思う。斜陽族とかね、流行ったらしいですからね、なんだそれって感じだけれども。

 それはともかく、『斜陽』は、天才・太宰治の「これでもか」といった具合の夕日の演出によって、「黄昏・没落・滅びの美学」なムードをまとっているような作品に思われがちだが、あえて、「それは違う気がしなくもない」と私は言ってみたい、ずいぶんと及び腰ではあるが…。この作品で描かれているのは夜明けである。それも革命的で力強い、前向きな夜明け。そういう意味で本作はポップなのである。

 

『斜陽』の終盤、かず子はこんなことを手紙に書いている。

 

 けれども私たちは、古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きるつもりです。(p.202)

 

 ここで「太陽」という言葉が使われていることに注目したい。もちろん、ここでこの言葉は「ほがらかで明るく健康的に」というような意味で使われているわけではないだろうと思う。この太陽は「朝日」のことを表しているはずである。斜陽=夕日に対しての、朝日。

 お母さまは夕方に亡くなり、直治は夜明けを目にすることなく自死している。

 かず子だけが、朝を迎えている。

 というか、彼女が手紙に書いていたように、作家・上原との関係を通して、かず子は作品内で太陽と化しているのである。それはどういうことか。

 

 作中で、かず子は上原と三回、キスをしている。

 

 私たちは、地下室の暗い階段をのぼって行った。一歩さきにのぼっていく上原さんが、階段の中頃で、くるりとこちら向きになり、素早く私にキスをした。(p.91)

 

 これが一回目。かず子はこのことを「ひめごと」と呼んでいる。

 

 岩が落ちて来るような勢いでそのひとの顔が近づき、遮二無二私はキスされた。性慾のにおいのするキスだった。(p.176)

 

 で、これが二回目。この時ふたりは、川ぞいの道を並んで歩いていた。そして次が三回目である。

 

 部屋が薄明るくなって、私は、傍で眠っているそのひとの寝顔をつくづく眺めていた。(中略)そのひとの髪を撫でながら、私のほうからキスをした。(p.180)

 

 で、こうやって三回の「ひめごと」を順番に眺めてみると、なんとも興味深いことに、ふたりの位置関係が微妙に変化しているようすが浮かび上がってくる。

 一回目は、上原の方が上にいて、かず子が下にいたのに対し、

 二回目では、ふたりは横にならんでいる。

 そして三回目では、かず子の方が上にいるのである。

 これらのかず子の位置の変化に、夜から明け方にかけての太陽の動きを重ね合わせてしまうのは、そう無茶な連想ではないだろうと思う。

 じっさい、三回目のキスの直後、「黄昏だ」という上原に対して、かず子は「朝ですわ」という。彼女=太陽は夜明けを迎えることができたのだ。

「斜陽」と題されたこの作品が、その最後で、「太陽のように生きる」と宣言するかず子が強烈な夜明けの光を放っていることを、我々は忘れてはいけない、と私は思う。

 なぜ忘れてはいけないのか。

 

 夕方になると太陽が傾き、大気中を進む光の距離が昼より長くなります。そのため、散らばりやすい青い光より、赤系統の光のほうが見えやすくなります。これが夕焼けが見られる理由です。(『小学館の子ども図鑑 プレNEO 楽しく遊ぶ学ぶ ふしぎの図鑑』p.68)

 

 このように、光は、進む距離が長くなると、赤く見えてしまうものらしい。

 となると、70年以上も前に発表されたこの『斜陽』という傑作が放つ強烈な光も、だいぶ赤みを帯びてきているというか、そのタイトルや作中の夕日演出の効果もあって、もうまっかっかの夕焼け色に染まっているように思われてしまっているかもしれない。

 

 だからこそ、忘れてはいけないと思うのだ。この作品が放つ光は、まぶしく、青い光であるということを。

 蛇の卵を焼いた場面で、太宰は夕日のほかにもうひとつ、手を加えている。

 それはお母さまの眼の光である。

『斜陽日記』では、「お母さまの眼が光ってみえた」とあるこの箇所、『斜陽』では「青いくらいに光って見え」たと書かれている。

 そして、夕日に対しての力強い青い光を眼に宿したお母さまを、飛びつきたいほど美しい、としているのである。

 ここに、美しいのは黄昏ではなく夜明けである、という太宰のひめごとが顕れている気がしてならない。