Pithecanthropus Erectus

読んだ本などの感想を書いてます。

2021-01-01から1年間の記事一覧

松尾潔『永遠の仮眠』

「光安さん、どうしたんですか、ニヤニヤしちゃって」 多田羅が怪訝そうに悟の顔色を窺う。 「喉が渇きました。どうです、サシ飲みに付き合っていただけませんか」(p.258) 物語は沖縄から始まる。 主人公の光安悟は、沖縄県那覇市のソウルバー『ダイ』のカウ…

ジョナサン・スウィフト『ガリバー旅行記』山田蘭訳

著者について、さらなる説明をお求めのかたは、どうか本書の冒頭をお読みください。 リチャード・シンプソン (p.14) リチャード・シンプソンとは、ガリバーの旅行記の発行者(ということに作中でなっている人物)である。 本書の冒頭には「ガリバー船長よ…

ジュール=ベルヌ『十五少年漂流記』那須辰造訳

「だからね、ゴードン、ぼくは大統領をやめて、きみかドニファンにかわってもらいたいんだ。そうしたら、きっと平和がたもたれると思うんだ。」 「それはいけないよ。きみはみんなに選挙されたんだから、かってにやめることはできないよ。」 「そうか。じゃ…

デフォー『ロビンソン・クルーソー』武田将明訳

すなわち、生きていると、想像するのも嫌で逃げまわっていること、そこに堕ちこめばなによりも恐ろしく、最悪なことがあるけれど、それはまさに救済への扉を開く鍵となることが多く、実はそれがなければ嵌まりこんでいる苦境から抜け出すことができないのだ…

アベ・プレヴォー『マノン・レスコー』青柳瑞穂訳

「ねえ、きみ」と私は答えた。「だからこそ、ぼくはみじめなんだよ。弱いんだよ。ああ! それはぼくにだってわかっている。ぼくは頭で考えているように行動しなければならないのだ! ところが、ぼくにはそれだけの実行力があるだろうか? マノンの魔力を忘れ…

ゴーゴリ『狂人日記 他二篇』横田瑞穂訳

『あたしね、くん、くん、あたしね、くん、くん、くん! 病気が、ひどくわるかったのよ!』なんだい、こいつめ犬のくせして! いや、白状するが、おれは、犬ころが人間みたいに口をきくのを聞いて、ひどく驚いたのだが、あとでよくよく考えてみると、べつに…

エヴェリン・マクドネル『ビョークが行く』栩木玲子訳

それでもステージであれほどナーヴァスになっている彼女を見て、私は彼女のチックとこぼれたコーヒーを思い出していた。勇敢な変人でいることの難しさ、自分で見つけた美しい衣装を着て行ったら、みんなに笑われた、そのときの当惑や哀しみを私は知っている…

ギタンジャリ・ラオ『ギタンジャリ・ラオ STEMで未来は変えられる』堀越英美訳

名著『不道徳お母さん講座』の著者の方が翻訳しているので、この本もまた絶対に面白いに決まっているという予感と、あとSTEMってなんか聞いたことあるけど気にならなくもない気がするというぼんやりとした動機から、この本を読んだ。 そしたら超面白かった。…

村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』

「あんたをその何かにうまく結びつけるためにできるだけのことはやってみよう」と羊男は言った。「うまく行くかどうかはわからない。おいらも少し歳を取った。もう以前ほどの力はないかもしれない。どれだけあんたを助けてあげられるものか、おいらにもよく…

村上春樹『羊をめぐる冒険』

「羊のことよ」と彼女は言った。「たくさんの羊と一頭の羊」 「羊?」 「うん」と言って彼女は半分ほど吸った煙草を僕に渡した。僕はそれを一口吸ってから灰皿につっこんで消した。「そして冒険がはじまるの」 (上巻 p.73) 主人公の「僕」は、離婚してから…

村上春樹『1973年のピンボール』

僕はピンボールの列を抜けて階段を上がり、レバー・スイッチを切った。まるで空気が抜けるようにピンボールの電気が消え、完全な沈黙と眠りがあたりを被った。再び倉庫を横切り、階段を上がり、電灯のスイッチを切って扉を後手に閉めるまでの長い時間、僕は…

村上春樹『風の歌を聴け』

「文章を書くたびにね、俺はその夏の午後と木の生い繁った古墳を思い出すんだ。そしてこう思う。蝉や蛙や蜘蛛や、そして夏草や風のために何かが書けたらどんなに素敵だろうってね。」 語り終えてしまうと鼠は首の後ろに両手を組んで、黙って空を眺めた。(p.1…

『完訳 アンデルセン童話集(二)』大畑末吉訳

部屋の中は、何から何まで、もとのままでした。時計は「カチ! カチ!」いっています。時計の針もまわっています。けれども、ドアを通る時、二人は、いつのまにか、自分たちが、おとなになっていることに気がつきました。屋根の雨どいのバラの花が、あけはな…

村田沙耶香『コンビニ人間』

三人の声が重なる。店長がいるとやっぱり朝礼が締まるな、と思っていると、ぼそりと白羽さんが言った。 「……なんか、宗教みたいっすね」 そうですよ、と反射的に心の中で答える。(p.46) 主人公の古倉さんは18歳の時から18年間、コンビニでバイトしている。 …

梅崎春生『桜島・日の果て』

それは、青いものが一本もない、代赭色の巨大な土塊の堆積であった。赤く焼けた熔岩の、不気味なほど莫大なつみ重なりであった。もはやこれは山というものではなかった。双眼鏡のレンズのせいか、岩肌の陰影がどぎつく浮き、非情の強さで私の眼を圧迫した。…

今村夏子『あひる』

母はお祈りに一時間近く費やした。 それなのに、のりたまは日増しに衰弱していった。 (文庫版p.18) のりたま、とは、「わたし」の家にやってきたあひるの名前だ。 名前の由来はわからない。 「わたし」の父が、働いていた頃の同僚の「新井さん」から譲り受け…

阿部和重『ブラック・チェンバー・ミュージック』

「それとあの――」 小首をかしげて「なんですか?」と訊いてきたハナコに対し、横口健二はこう伝えた。 「いつかまた、かならず会いましょう」 するとハナコは一拍おいてから、このように応じた。 「はい、かならずまた会いましょう」 この約束を果たせる見こ…

『クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』

すごい面白かった。 まず、「家族愛」みたいなものを全面に押し出してこないところがいい。 そういうのはもう食傷気味だからだ。 本作は子供たちが主役で、家族は文字通り「見守る」立場でのみ登場する。 それがすごい良かった。子供たちもみんな、かっこよ…

ドストエフスキー『悪霊』江川卓訳

それからどうなったかは、はっきりとは覚えていない。突然、人々がリーザをかつぎあげたことだけを覚えている。私は彼女の後から駆けだした。彼女はまだ息があったし、ことによると、意識も残っていたかもしれない。 (下巻 p.380-381) ロシアのとある町で…

熊谷達也『邂逅の森』

あの時、本当にクライドリが効いたのかどうかは、今もって疑問だ。だが、理屈には合わないようなことが、山の中ではしょっちゅう起こるのも事実だった。 (p.39) 主人公の松橋富治は、マタギである。物語の舞台は大正三年。富治は二十代半ば。ここから、何十…

藤野千夜『中等部超能力戦争』

文章が難しくて意味をとるのに苦労したけれど、冒頭を三度読み返しても同じように感じたからたぶん間違いない。確かに学力は小清水さんより劣っていても、はるかはそういった勘には少し自信がある。 まずそこに書いてあったのは、たぶんはるかへの悪口だった…

森達也『死刑』

(前略)執行に携わる多くの人に会った。多くの人に話しを聞いた。これから死刑が確定する人。かつて死刑が確定していた人。弁護士に元検察官。政治家に元裁判官。刑務官の苦悩や教誨師の煩悶に触れ、廃止を願う人、存置を主張する人たちにも会って話を聞い…

島田雅彦『スノードロップ』

「ハンドルネームは何にしようかしら」と相談すると、ジャスミンは「お好きな花の名前はいかがですか」というので、「スノードロップ」にすることにしました。下向きに咲く白い花は悲嘆の涙を連想させ、まさに私の心境そのもののような花です。花言葉は「希…

松尾潔『松尾潔のメロウな季節』

先日の連休にbayfmで放送されていた特番『松尾潔のメロウな休日』を聴いていて、私はとても驚いたことがある。 松尾潔さんのキャラクターが、NHK-FMのご自身の冠番組『松尾潔のメロウな夜』とだいぶ違っているのだ。 R&B愛好家としての非常に抑制の利いた…

町田康『ギケイキ② 奈落への飛翔』

兄は、「僕の使者を殺すなんて信じられない」と息巻いて周囲の人たちは、「ですよねー」と同調したが、兄の居ないところでは、「ああなったら、普通、殺すよな」「殺す殺す」と言い合っていた。 このことで私ははっきり兄と敵対することになった。 (p.221)…

横道誠『みんな水の中』

だが考えてみてほしい。そもそも私たちは日常的に、多数派の定型発達者に適合するようにデザインされた社会でしか生きられないように仕向けられている。初めから環境を調整してもらうことで、定型発達者は彼らの能力を発揮できている。(中略)これらは、環…

プーシキン『スペードの女王・ベールキン物語』神西清訳

ゲルマンは衝立のかげへ進んだ。そこには小さな鉄の寝台があり、手紙の通り右手に内房の扉が、左手には廊下へ出る扉があった。左手のを開けると、哀れな娘の部屋へ導く狭い廻り梯子が見えた。けれど彼は歩を返して、真っ暗な内房に踏み入った。 (「スペード…

松尾潔『松尾潔のメロウな日々』

超面白い。 R&B、ブラックミュージックに詳しくなくても絶対に楽しめる。 この本には、若かりし松尾潔さんが、音楽への情熱と愛と凄まじい行動力と見事な交渉術(痛い目も見る)でもって、自分のありかたに逡巡しつつとにかく文章を書きまくっていた日々、が…

カート・ヴォネガット・ジュニア『スローターハウス5』伊藤典夫訳

過去では、その人はまだ生きているのだから、葬儀の場で泣くのは愚かしいことだ。あらゆる瞬間は、過去、現在、未来を問わず、常に存在してきたのだし、常に存在しつづけるのである。(p.43) 1. 主人公のビリー・ピルグリムは1922年に生まれて、1986年2月13…

筒井康隆『脱走と追跡のサンバ』

原子時計研究室では、研究員らしい三人の男とひとりの女が餅搗(つ)きをしていた。 「やあ、どうもどうも。なにね、郷里へ帰っている教授から餅米を送ってきたもので、今、搗いてるんですよ」おれの名刺にちらと視線を走らせた若い男が、陽気にそう言いながら…