
今から100年前の1926年、「分け入つても分け入つても青い山」という俳句が当時43歳の種田山頭火によって詠まれている。現在43歳の私はこの俳句を義務教育で習って知って、かつ、ずっと、頭の中に残っていた。
どうしてずっとこの句を記憶していたかというと、変わっているから。だって、俳句なのに五七五になってないし。名前も変だし。名前に関しては、私は『入門 山頭火』を読むまで、種田が名字で、山頭火が名前、ということさえ知らなかった。たねださんとうか、変わった名前だなあ、と思っていた。
そんな山頭火の俳句(もちろん「分け入つても分け入つても青い山」も含む)を、町田康さんが読んでいくのが本書である。
私の拙い読書経験による偏見であることは承知しているが、こういう、「読み解き系の本」っていうのは大抵、著者がちょっと鼻息荒くて、それで自説について前のめり気味に一直線で語るもの、という印象があり、それで全然良いんだけど、あまりにも目がバッキバキすぎると、「ちょっとこの人だいじょぶか」と読み進めるのが不安になる。
しかしこの『入門 山頭火』に関してはそのような不安とは無縁で、てくてくと自然な感じで、読み進めることができる。自然に、そして楽しく。まるで小説「夫婦茶碗」や「人間の屑」を読んでいる時のような感じだった(実際、「夫婦」「尾崎放哉」「俳句」「商売」「猫」という言葉を通して「夫婦茶碗」「人間の屑」と山頭火の存在は響き合っている気がする)。
種田山頭火の俳句を読んでいくにあたって、『入門 山頭火』では、スーパーマーケット方式を採用している。
山頭火の一生がスーパーマーケットであったとすると、最初はあまり棚を細かく見ないで、まずはぐるっと一周回り(p.13)
それから、何周も回ることで「理解を詳細なものにしていこうと、こういう魂胆である。(p.13)」というスタイルの読み解き方である。
これが実はとてつもない戦略であると私は思う。
なぜなら、「なんかよくわからないけど、なんかいい。ずっと心に残っている」みたいな山頭火の俳句は、たぶん、その短い一句によって、言葉では言い表せない何かを言い表しているのであり、それを、その一句の良さ、その凄さを言葉で表現しようとするのは、追いかけると逃げてく虹に追いつこうとするみたいなもの、あるいは、気配は感じるけれど写真に写らない幽霊を皆に認識してもらうみたいなもので、一筋縄ではいかないというか、不可能なことだと思う。しかし、何回も周回をし、理解を詳細なものにするということは、それは、その周回の輪郭が次第に明瞭になってくるということで、それによって、中心部分にある「言葉では捕まえにくい何か」の形が影絵のように浮かび上がってくる、のではあるまいか。それを読者に示す。読者は何かしらの存在の像を感じる。見えてくる。一直線ではなく、くるくる周るスーパーマーケット方式だからこそ実現できるやり方だと私は思う。
まずはざっくりと店内を一周。とはいえ、そのまなざしは、鋭い。鋭すぎる。最初に登場する、「分け入つても分け入つても青い山」について、
こういうことは、どうなのだろうか、実際に山の中に入っていってそれで思いつくのだろうか。それとも、頭の中で山の中に入っていく、その状況を想像して字に書くのだろうか。または、ちょっとか、かなりか、はわからないがいずれにしても、それを書いている今現在よりも、前に入っていったことを思い出して書いているのか。
或いはもっと言うと最初、文字の形で詩人の身体からこの世に出てくるのだろうか。それともまず口でブツブツ唱えてみるのだろうか。
またはそんな順序のようなものはなく、それらが同時に、瞬間的に起こるからこんなことになるのか。(p.7-8)
と、このように町田康さんは書いていて、私は「このまなざしで読み解いていくのか」と血が騒いだ。
なぜなら、この読み方というのは、同時に、町田康さん自身のなかで言葉がどのように生まれるのか、その一端がうかがい知れるような読み方、な気がしたからである。
それは例えば、「炎天の街のまんなか鉛煮ゆ」という句、これだけ見ると、呪術的で不気味な感じがするが(私の場合)、これを、町田康さんは、言葉のひとつびとつを丁寧に分析していく。分析というか、言葉の持つイメージをほどいていく感じ。山頭火はなぜ、この言葉を使ったのか、この言葉はどこからやってきたのか、と。そうして。
しかるに、まんなか、はどうかというと、街の、と言った段階でなにも風のようにふっと吹いてきた言葉、すなわち、街の、という草を引っ張ったところ、それと同時に、ずるっと、抜けてきた根っこのような言葉である。(p.64)
「根拠のない推測だけれども(p.64)」と断りが入ってはいるものの、私は、この「まんなか」という言葉が生まれる瞬間の予想に完全に夢中になり、そして、スーパーマーケットの店内を周回する時の軌道が、一本線ではなく、二本の線が、二重螺旋のようにぐるぐると渦巻いていることに気がついた。二本の線とはもちろん、種田山頭火と町田康さんである。
澄んだ俳句は、澄んだ暮らしから。というようなことを種田山頭火は考えていた。
そんなの無理だよー、だって自分も社会も煩悩に汚染されきっている、そんな中でAIとか駆使してうまく折り合い付けて立ち振る舞うのが大事なんだよー、これが大人の処世術なのさ。と訳知り顔で言ってくるようなクソ野郎に山頭火はなれなかった。
汚れた言葉を濁った瞳で磨き上げて見た目だけはピカピカしている俳句を作り上げるのではなく、自分の中から直に澄んだ俳句を生み出したかった。欲にまみれたくなかった。だから出家もしてみた。でも駄目だった。尊い坊さん、と自分を慕ってくる人たちの前で、尊い坊さんを演じることができなかった。嘘くさいのが嫌だった。自然に、自然のように、ただ、ありたかった。
捨てきれない荷物のおもさまへうしろ
この句について、町田康さんは次のように語る。
旅姿であれば荷物は前後に振り分けにする。前、というのは、未来のこと、後、というのは過去のこと。
過去の因縁も暗澹たる将来も、自分にとっては重い荷物であるが、だがこれを捨てられないのである。空間の中にただ一点としてある山頭火はそのように過去と未来の時間に追い詰められ、だからといって一箇所に立っていられず、蹌踉と山中を歩くより他なかった。(p.232)
やや話は飛躍するけども私はこの解説を読んで、萩原朔太郎の「漂泊者の歌」の理解が少し深まった気がしている。
あの詩の冒頭、断崖の上に登る日は未来、陸橋の下の憂いは過去、空の彼方は未来、柵の背後は過去、という風に考えると、時間がぐわんぐわんしてる中で「一つの寂しき影」がどこにいるかわかるし、詩の最後の方に出てくる「悲しき落日の坂を登りて」も、未来が過去になり過去が未来になるような、そういう時空からはじかれたような場所に「漂泊者」は立っているのだなと思われる。
それで話を戻すと、山頭火は、この詩に出てくる漂泊者のようになりたかったのではないか。でも、なれなかった。
それはやはり彼はなんだかんだ言ってもいろんなものを愛していたし、また、多くの友人たちから、彼は愛されていたからだと思う。寂寥の人ではあったと思う。悲しみも苦しみもずっと抱えていたと思う。でも、友人たちその他大勢からから愛されて、甘やかされて、嬉しくて浮かれて、酒飲んで暴れて留置所にぶち込まれて、自分の振る舞いに絶望して、でもまた誘われると嬉しくて……。
その生き方に、私は元気と勇気をもらった。人間の本当のところって、そういうものだと思えるから。そして、彼の根っこのところには、暗さではなくて、明るさがあるのだなあとこの本を読んで思ったから。どうしようもない明るさが。その明るさの源はどこにあるのかというと、愛だと思いますね。
名曲「六尺八寸様」の歌い出し部分が生まれた瞬間のことが、本書には書かれています。心に愛をこめてゴー。
この本の中でとにかく大好きな文章が、p.163のカーラジオのくだりの一文。私は『ギケイキ 千年の流転』に出てくる、弁慶が槍を千本集めようと思うくだりの文章がとにかく大好きでなんですが、この『入門 山頭火』のカーラジオの一文も、それと同じくらい最高だと思うので、みなさんぜひ読んでみてくださいね。







