Pithecanthropus Erectus

読んだ本などの感想を書いてます。

2023年10月24日_町田康_高円寺JIROKICH

f:id:kazuki_shoji:20231111094648j:image

 冒頭、町田康さんは、おおよそ次のようなことを語る。

 

 綸言汗の如し(りんげんあせのごとし)という言葉がある。これは、天子(偉い人)の言葉は、取り消しできないという意味である。なぜ、天子のような偉い人の言葉を、汗という汚いものに例えるのか、昔から疑問だった。

 先日、徳間ジャパンのインタビューで、歌手はもう引退すると語った。しかし、『ミュージック・マガジン』で始まった連載で、むかし聴いていた歌のことを書いたり、某ミュージシャンと対談したりするうちに、歌いたくなってきた。車を運転しているときについ歌ってしまったりする。歌うことが生き癖(もっと絶妙な言葉を使われていたと思います。生来の習慣みたいな、そういう意味の言葉です)になっている。

 だがしかし。

 綸言汗の如し。自分は天子ではないが、言ったことを取り消すわけにもいかないので、今日は、歌わない。歌うのはやめた。その代わり、「抑揚のついた詩の朗読」をしようと思う。

 

 そしてこのあたりで、noteに上げている歌詞について触れたはず。noteに、今日、朗読する順番に歌詞が載っているとして、そのnoteのページQRコードがどでかく印刷された紙(しっかりとラミネート加工されていたように思う)をステージ上で掲げる町田康さん。歌詞を見ながら聴いてほしいとのこと。カメラを向けてQRコードを読み取ったら、ちゃんと繋がった。

 

 「汝、我が民に非ズ」は、公表はしていないが昨年の春(たしか)に解散している。経緯についてはここで話すと長くなるので、いずれどこかで書くかもしれない。

 

 と、こんな感じのことを語っていた。

 

 そして一曲目、「もうやめてください」。これは、「もうやめてください」と言うのをやめてください、という歌、みたいな説明があった。

 ほぼ毎回、歌詞についての簡単な話があった。それがまた面白く、ギターの中村JIZO敬治さんとのやり取りも軽妙で、笑いが起きまくりだった。

 また、発見もあった。「踊り狂う君ダウン花を抱いて儲けなしでターン」の十字架のくだりとか、これまで私には謎で、言葉の響きだけを楽しんでいたのだが、町田康さんのお話を聞いて、そういう意味があったのか、うわ、ほんとだ、と驚いたりした。うわわ、と。

 

 終盤、町田康さんは、夢、について語る。おおよそ次のようなことです。

 

 自分は今まで、夢というものを持たずに、現実だけを見て生きてきた。しかし、夢を持つことも大事だと思うので、夢を持った。それは、町田地蔵尊町田康さん+中村JIZO敬治さんの新ユニット名だと思う)のライブや物販でお金を稼いで、そのお金で、地蔵堂を建立するというものだ。

 その地蔵堂では、子供たちに作文を教える教室を開いたり、こういうライブをやったりすることができる。そういう地蔵堂を建立したい。それが夢。立地は、山奥とか離島じゃなくて、行きやすいところがいい。

 

 と、こんな感じのことを語っていた。

 楽しそうな夢!

 その地蔵堂を見てみたいし、その地蔵堂に足繫く通いたい!

 

 最後の曲は「名前の歌」。『Machida Kou Group Live 2004 Oct 6th』バージョンの「名前の歌」を二十年近く聴いてきた身としては、ここに自分の名前が登場したことの感慨たるやひとしおです。涙。

 

 二時間にわたる濃密な、歌、というか、抑揚のついた詩の朗読に、私は完全にうつつを忘れて、いまもちょっとまだ、うつつを忘れている。いまだ興奮の中にいる。会場の盛り上がりとか一体感みたいなものも凄くて、ライブっていいなーと帰り道、思った。







横道誠『発達障害の子の勉強・学校・心のケア』

 新型コロナウイルスが蔓延するよりも数年前の年明け、高校時代の友人らとコーヒー店で話をしている時に、生きづらさ、の話題になった。

 我々も、今はこうやっていい歳したおじさんとしてなんとかぶざまに存在しているけれども、なんか色々と、本当に色々と、困難だったよねー特に思春期。みたいな会話をしていたと思う。

 そんな流れで、私が、「でもさ、そうでもない人はそうでもないらしいんだよ。というか大多数の人が、そうでもないらしいんだよ、どうも」と言うと、友人の一人が驚いて叫んだ。

「死にたいって思わないで大人になった人なんているの!?」

 彼の常識外れにでかい声で、新年で賑わうほぼ満席のコメダ珈琲店が、一瞬だけ静まり返った。

 

 どういう時に生きづらさを感じるかと言えば、それは、ままならないときである。

「儘ならぬ=思い通りにならない」という意味らしい。そんなのばっかりだったら、そりゃあ多感な時期だもの、死にたくもなる。

 では多くの人はままなってるのかというと、ままなっているらしい。高校の頃のクラスメイトの顔を思い出してみても、ああたしかにみんな、ままなってるような顔、してる。そうやってままなる十代を送り、ままなる大人になり、ままなる老後を迎え、ままなる最後を迎える。ままなる人生、いいよなあ、と私は思う。

 それは自由な人生ということだ。

 いやいや自由じゃないですよ、苦労の連続ですよ、頭抱える日々ですよ、胃が痛いですよ、あんたみたいなぼーっとした馬鹿と違ってこっちは色々大変なんですよ、と、ままなる人たちは言うかも知れないが、ままならない私はその人たちに、甘えるな、と言って差し上げたい。

 私だって好きでぼーっとしているわけではないのだ。ぼーっとしているよりほかに術がないからぼーっとしているのである。でもこれからの私はちょっと違ってくるでしょうね。なぜならこの本を読んだから。今に見てらっしゃい!

 

 ままならなさのまっただ中で犬死にせずに、生きやすさ=自由を勝ち取るための、優しくて熱い兵法の書が、『発達障害の子の勉強・学校・心のケア』である、と私は思う。兵法書? ああ、ハウツー本ね、と早とちりしてはいけない。

 

(前略)ひとくちに「発達障害」と言っても、その実態はほんとうにバラバラで、当事者の子どもごとに別々の困りごとがあって、だから解決方法としても別々の正解があるからです。そうした本を読みながら、「こうすれば良いよ」というアドバイスに、「私の場合はちがう。これは私が子どもの頃に意味をなさなかった解決方法だ」と思うことは非常に多かったのです。(p.3-4「はじめに」より)

 

 本書は、「こういう時はこうしましょう」というハウツー本ではない。そもそも、ままならなさとは、そういう紋切り型にあてはまるようなものではない。エイドス的ではないのだ。それよりもむしろ求められるのは、「じぶんの苦労の仕組みを仲間と協力して研究し、生きづらさを減らしていく取り組み(p.4)」なのだ。そのようなエートス的な取り組みを「当事者研究」と呼ぶ。親がその共同研究者になってみませんか、と本書は呼びかける。

 ところで使い慣れていないカタカナの言葉をふたつ、知ったかぶりでつい使ってしまったけれど、そんな浅ましいふるまいに及んだのは私が興奮しているから。

 本書を読み始める直前に、私は國分功一郎さんの『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』という本を読み終えていて、とても感動していたところだった。

 

 ここにも『エチカ』のエートス的な発想が生きていると言えるでしょう。どのような性質の力をもった人が、どのような場所、どのような環境に生きているのか。それを具体的に考えた時にはじめて活動能力を高める組み合わせを探し当てることができる。

國分功一郎『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』p.61)

 

 私は、ふたつの本は、同じことを書いている、と思った。感動したし、興奮した。繋がっている、と思った。『発達障害の子の勉強・学校・心のケア』は、われらとわれらの子孫のための「自由へのエチカ(倫理学)」なのだと思った。

 

 私はこの本を読み始めて序盤からずっとうるうるしていて、リフレーミングのくだりでとうとう泣いた。そのあとの「困った子」は「困っている子」にも……。頼もしくて優しい語り口で書かれたこの本(なんだかムーミンパパの手記を読んでいるような)は、読みやすくて分かりやすい。読むと元気が出てくるんです。勇気も。つまり、実践あるのみです。

 

トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の十一月』鈴木徹郎訳、翻訳編集:畑中麻紀

 ホムサ・トフトには、まるっきり今までとちがったママが見えて、それがいかにもママらしく、自然に思えました。ホムサはふと、ママはなぜかなしくなったのだろう、どうしたらなぐさめてあげられるのだろうと思いました。(p.258)




1.

 昨年、初めて読んだ『ムーミン谷の十一月』が面白すぎて、半年くらいずっと繰り返し読んでいた。今年に入って初めて読み返してみたけれど、やはりとてつもなく面白く、忘れていた箇所や、読み落としていた箇所などもたくさんあり、新鮮な気持ちで読めた。

 そして今回、私がとても気になったのは、『ムーミン谷の十一月』と『ムーミンパパ海へいく』が似ているということである。

 

 両作品とも、移動から始まる。そして移動先では、肝心なものが不在であり、色々と忘れがちなおじさんが登場し、少年は想像をたくましくし、終盤にはパーティーが開かれ、最後は光で終わる。

 

 似ているところを恣意的に拾い上げただけでしょう、という気がしないでもないが、しかしこの類似は偶然ではないはずだ、ここに何かしらの意図が込められているはずだ、と思わずにはいられない私である。

 

 奇妙に似ているふたつの作品。しかしふたつには決定的な違いがある。

 

 ムーミンママは立ち上がって、きっぱりとした足どりでドアのほうに向かいながらいいました。

「こうなったら、ね。わたしが自分で行って、礼儀正しいむかしふうのやりかたで、臆病でへんくつなあの人を招待してくるわ。(後略)」

ムーミンパパ海へいく』(p.301)

 

(どうもご先祖さまは、気分を害したらしいな。主賓はちゃんと呼びにいって、つれてこなくてはいけないのだ。むかしは、そうしたものだよな。みんな、礼儀知らずもいいところだ)

 とつぜん、スクルッタおじさんは立ち上がって、ドンとテーブルをたたきました。

ムーミン谷の十一月』(p.206)

 

『海へいく』では、漁師=主賓を灯台でのパーティーに招待することに成功している。ムーミンママが彼の手をつなぎ、優しく声をかけながら、怯える漁師に境界を越えさせている。

 しかし『十一月』では、ご先祖さまをパーティーに招待できていない。失敗している。

 

 成功と失敗。

 

 ふたつの作品の決定的な違いがここにあると私は考えるのだけれども、では、この失敗は、何を意味するのか。




2.

 その前に、そもそも、鏡の中にご先祖さまは本当にいたのだろうか? ご先祖さまは、認知機能に危うさを抱えている可能性が大いにありうるスクルッタおじさんが、鏡の中に見たまぼろしではなかったか?

 

「わしは今、たまらなくかなしいんだ。あいつらが、わしにどんな仕打ちをしたか、わかるかね」

 おじさんはことばを切って、相手がなにかいうのを待ちました。ご先祖さまは首をゆっくり横にふって、足ぶみしました。

「そのとおりさ」

 と、スクルッタおじさんはいいました。(p.175)

 

 スクルッタおじさんが鏡の中に映った自分をご先祖さまと勘違いして話しかけているこの場面を、鏡の中には本当にご先祖さまがいた、とあえて誤読してみる。

 つまり、ご先祖さまが「首をゆっくり横にふり、足ぶみをした」とき、スクルッタおじさんはその動作をしていなかった、というホラーな読み方である。

 誤読、と書いたけれども、少なくともそういう読み方は排除されてはいないですよね、たぶん。

 なので、鏡の中にご先祖さまは本当に存在していたと考えることも可能ではあると思うのです。鏡の中にご先祖さまは、「いる」。

(パーティーの最中にみんなでこの鏡の前にやってきた時は、鏡の中に映るのはスクルッタおじさんでしかなかったという描写がされているけれど、大抵の心霊現象というのは、人が大勢いる時には起きないものです。ましてや、ヘムレンさんみたいな人物がいる場合にはね。)

 

 三百歳だというご先祖さまは、永遠(不死)を象徴しているとも言える。

 そして、永遠とは、始まりも終わりもない状態を指すと思うのだけれども、閉じた輪のようになっているこの作品には、永遠が閉じ込められていたと私は考える。

 

 

 

3.

ムーミン谷の十一月』の構造は円環になっている。

 登場人物たちは、閉じられた輪の中を繰り返し生きている。

 この物語は、スナフキンが旅立つ場面から幕を開ける。そして最終章(21章)でスナフキンは再び、旅に出る。円環。閉じた世界なのだ。

 フィリフヨンカのえりまきもホムサの読む本も、この世界の構造を暗示してはいなかったか。

 

 ミムラねえさんはつくづくと、フィリフヨンカをながめてみました。(中略)首にまいているのは、自分のしっぽにかみついている、きつねのえりまきです。(p.80)

 

 ホムサ・トフトは、(中略)本のつづきを読みはじめました。とてもあつい、大きな本です。はじめのページもおしまいのページもちぎれています。(p.73)

 

 キツネのえりまきはウロボロス(始めと終わりの一致)だし、ホムサの読む本には始まりも終わりもない。円環。このふたりの小道具の共通点は興味深いですよね。

 そして極めつけはヘムレンさんのセリフである。

 

「ちょっと奇妙なんだよ。ぼくはときどき、今いっていることや、していること、それから今起きていることなんかが、まえにもそっくり同じようにあった気がするときがあるんだ。ねっ、ぼくのいっていること、わかるかな。すべてがそっくり同じみたいなんだよ」(p.226-227)

 

「変だな」

 ヘムレンさんはいいました。

「ほら、まただよ。いつもおんなじことばっかり起きているって気がするんだよね」(p.239)

 

 これらのセリフは、「毎日が同じことの繰り返しで、自分以外の何かになりたいけれど、自分以外の何者にもなれない」というヘムレンさんが抱えていた絶望に対して、「それも悪くはないかもな」と思えるようになるまでの変化の過程を端的に表しているはずである。

 しかしあえてこのセリフを字句通りに受け取ってみよう。つまりヘムレンさんはここで「自分はループした世界の中を何度も生きている気がする」と告白している、と読んでみるのだ。

 

 

 

4.

 繰り返される物語。始まりもなければ終わりもない。それは、生まれることもなければ死ぬこともないということであり、「毎日が日曜日」ということでもある。『ムーミンパパ海へいく』で「月曜日=死の訪れ(個人の見解です)」への不安を口にしていたママが、『ムーミン谷の十一月』に残していた手紙には何と書かれていたか。

 

『どうか、ストーブで火をたかないでくださいね。中にご先祖さまが住んでいますから。

ムーミンママ』(p.180)

 

 この空間の永遠性を象徴するご先祖さまを守るようにと、ママは言っているのだと私は思う。ご先祖さまがいるかぎり、死は訪れない。

 

 しかし、それで本当に良いのだろうか。不幸を回避しつづける状態を、幸福と呼べるのだろうか。本当の悲しみがなければ、本当の喜びもないのではないだろうか。と考えたのが、スクルッタおじさんである、たぶん。

 

「わしよりも、もっと年よりがいるなんて、うれしいことだろうか、腹の立つことだろうか」

 おじさんはその問題に、すごく興味がわきました。一つ、ご先祖さまを起こして知り合いになってやるぞ、と決心しました。(p.97)

 

 生き続ける(永遠である)ということは、幸福なのか、不幸なのか、そのことを直接ご先祖さまに聞いてみよう、というわけだ。

 また、この直前には、おじさんはミムラねえさんに対して次のようなことを語っている。

 

「休暇中には、死なないことになっているのだ」(p.96)

 

 ムーミン谷に死が訪れないことを、おじさんは十分に自覚している。

 そして、『ムーミンパパ海へいく』で未解決に終わったと私が思い込んでいる「毎日が日曜日問題=この世界に死は訪れない問題」を、スクルッタおじさんが引き受けたのだ、と私は思う。

 

 このような問題意識を持つことのできるおじさんは、この世界が閉じた輪になっていることにも自覚的だったと思われる。「まるっきりあたらしいものを見るんだ(p.66)」とは、この繰り返しから抜け出して違う景色を見たいということを言っていたともとれる。

 たくさんの眼鏡は、彼がこの世界をいわば「何周」したかのあらわれかも。

 終盤、おじさんはご先祖様に「あいつらまた、なにもかも、こんなふうにしちまったんだ。はじめからのことを知っているのは、もう、あんたとわしだけ(p.232)」と言うのだけれど、このセリフは看過できないですよね。意味深長だよね。ループしてるっぽいよね。スクルッタおじさん、ただものじゃないですよ。

 

 そういえば、私は、おじさんが9章のあの場面にいないことについて前から気になっていたのだ。あの場面とは、p.84-86の、「フィリフヨンカとヘムレンさんが言い争う場所にいるホムサ」ら三人を挟むようにして、ミムラねえさんとスナフキンが向かい合う場面である。

 私はこの場面で、ミムラねえさんとスナフキンの間で何かしらの「目くばせ」が行われたと思っている。

 

 繰り返し仮説、というものがある。というものがある、って、私がでっちあげた仮説なのだけれども、これは、ムーミン小説においてしばしば見られる「間をおいて繰り返される同じセリフ」に挟まれた部分の描写には、色々と複層的な意味が込められている、という説である。

 この「目くばせ」の場面では、ヘムレンさんの「来てくれて、とてもうれしいよ」というセリフが繰り返される。そして、その間にある描写には、スナフキンは、あいまいなしぐさをして、もごもごいう(p.85)」というものがある。

 このスナフキンの仕草は、ヘムレンさんに対してなされたものであり「わかったよ、でも、いいたすことはなんにもないよ、という意味(p.107)」なのだろうとは思う。

 しかし。

 ここでは同じセリフが繰り返されているのだ。油断してはいけない。「繰り返し仮説」によれば、このスナフキンの仕草には何か別の意味がある、と私は思う。

 で、これは、ミムラねえさんへの「了解」だったのではないだろうか、何らかの取り決めについての。そして、二人は無言のうちにどんな取り決めを交わしたのかといえば、それは間に挟まっている三人への、まあ、その、この三人を元気にしてあげようね、みたいな、そういう、その、あれですよ……。

 そしてなぜここにスクルッタおじさんはいないのか、私はずっと気になっていたのです。きっと、おじさんは「特別枠扱い」ということなのだろう。ちょっと次元が違う感じ。ただものじゃないですよ。

 で、この時、おじさんがどこにいたかというと、橋の上。境い目です。彼はしょっちゅうここにいた。何を考えていたのだろう。おじさんが気にかけていたのは、なんだろうね……。




5.

 さて、それでは、ご先祖さまを呼び出せなかったということは、どういうことか。

 

 話を整理してみる。

 おじさんは、ご先祖さまに聞いてみたいことがあった。永遠ってそんなにいいものですか、ということを。うん。

 おじさんは、ご先祖さまをパーティーに呼びたかった。うんうん。

 おじさんは、ご先祖さまをパーティーに呼び出せば、『ムーミンパパ海へいく』で起きたような奇跡が、『ムーミン谷の十一月』でも起きると思っていたのではないだろうか。……まあ、うんうん。

 

 この場合の奇跡とは、なんだろう。それはやはり、これまでのムーミン小説で見られたような、怒涛の盛り上がりの果てのハッピーエンドでしょうよ。

 フィリフヨンカが抱いていた底知れぬ寂寥感は消え去り、ヘムレンさんは違う自分になれたことを喜び、小川は美しいせせらぎであり、ムーミン一家は雪が降る前に帰ってきて、ホムサはママに抱きしめてもらい、あたらしい日々が始まる。

 

 しかし、失敗してしまった。奇跡は起きなかった。

 

 ご先祖さまを呼び出せなかった。それは、作品内から奇跡が失われてしまった、ということである。

 永遠は永遠のままで良いのか、また始めからやり直さなければならないのか。

 

 ここで、九周目(眼鏡の数は八個なので)のスクルッタおじさんは、行動に出る。

 

 21章でスナフキンが旅に出れば、この世界はふたたび閉じてしまう。その前になんとかしなければならない。なんとかすることでなんとかなるのなら、だけれど。

 そして。

 おじさんを突き動かしたのは怒りである。ご先祖さまを映す「古鏡」は砕け散ってしまった。このことによって、円環に少し、ひび割れが生じたのだろう。そしてこのひび割れは、小さなホムサ・トフトが向こう側へ通り抜けるのには十分な隙間だったようだ。

 

 鏡が割れる=ご先祖さまが消える=永遠ではなくなる=死が訪れる。おそるべき論理の飛躍だという自覚はあるが、でもまあ首の皮一枚くらいで繋がっている気がしないでもない。

 超高齢で容体も芳しくなかったスクルッタおじさんは今、死の淵に立っている。ご先祖さまは無言のうちに消えてしまった。永遠って、そんなにいいものなのだろうか、聞けずじまいになってしまった。おじさんは今、何を思うのか。

 

 やっと、どうしたらいいかわかったのです。じつにかんたんなことでした! 冬なんて飛びこして、うんと大またで一歩、四月の中にふみこめばいいんです。(p.234)

 

 そうしておじさんは永い眠りに入る。おそらくもう二度と目を覚ますことはないだろう(個人の見解です)。

 

 その夜、空はすみきっていました。(p.235)

 

 この夜に、ホムサがある行動を取る。ムーミン小説全作品の中で、もっとも優しくて、もっとも美しい場面だと思う。年老いたおじさんを思うこの小さな子こそが、奇跡が失われたムーミン谷における希望なのだ。

「ガラス玉のなかは、からっぽ(p.236)」で、夜空には「数えきれないほどの星が輝いていて(p.236)」、洋服だんすの中からは「かすかに、なにかのスパイスのかおり(p.236)」がしている。これまでとは違う、静かな夜。

 あたらしい物語が始まろうとしている。日曜日はもう終わったのだ。

 

そしてヘムレンさんは「ほら、まただよ。いつもおんなじことばっかり起きているって気がするんだよね」という経験をするわけだが、このあと、おそるべき「初体験」を迎える。

 

「あのね、きみに打ちあけなきゃならないことがあるんだ。海に出たのは、今回が生まれてはじめてだったんだ」(p.248)

 

 この場面が、私は本当に本当に大好きで、大好きすぎて、この前後の文章は引用できない。ぜひ、読んでみてくださいね。

 弱みを打ちあけることができる人は、ちっとも弱くなんかないんですよ、ヘムレンさん。そして、その打ちあけられた弱みを、優しく受け入れることの強さ。涙が出てくるよ。

 ともあれ、ヘムレンさんはここにきて「生まれてはじめて」の経験をしたのだ。円環は完全に壊れた。

 

 

 

6.

 そして物語は21章を迎える。スナフキンは旅立つ。

 この時、南西風が吹き始めたことに注目したい。『ムーミンパパ海へいく』では、終盤からエンディングにかけて、南西風が吹き続けている。その南西風が、『ムーミン谷の十一月』でも吹き始めたのだ。これはもう「うまく繋がった」合図のようなものである。

 

 目に見えないところで、ひそやかに、奇跡は起きていたのだ。フィリフヨンカ、ヘムレンさん、ミムラねえさん、スナフキン、スクルッタおじさん、ホムサら六人が、やかましくてめちゃくちゃな共同生活をしくじりつつ送りながら、自分自身を受け入れ、不器用に相手を認めた結果が、南西風なのだと私は思う。素晴らしいじゃないですか。

 

 ここからいよいよ谷に残ったホムサ・トフトの「まるっきりあたらしい」物語がはじまる。

 

 ムーミン谷はもうすっかり、まぼろしの中の景色になっていました。ムーミンやしきも、庭も、川も、影絵を見ているようです。ホムサは、どこまでがほんとうで、どこからが自分の空想だかわからなくなってきました。(p.255)

 

 ホムサ、がんばれ! 恐怖を覚えたホムサが駆け出した先、そこは。

 

 そこはあたらしい世界でした。(p.256)

 

 ついに、あたらしい世界があらわれたのだ。

 この「あたらしい世界」でホムサは「大きな安心につつまれる(p.256)」

 そして、頭の中に「まるっきり今までとちがったママが見えて(p.258)」くるのである。

 この物語が求めていたのはこの「まるっきり今までとちがったママ」だったのだろう。ホムサはここになんとか辿り着くことができた。

 これでもう、大丈夫。

 ハッピーエンドの扉は開かれた。

 

 南西風が象徴的に吹き渡る。トゥーティッキが歌っているようにも思える。手回しオルガンのハンドルを回しながらね。

 彼女の声を聞きながら、ホムサは歩く。

 山の上で腰を下ろす。ただ前だけを向いて。

 そうしたら、ほら。光が見える。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トーベ・ヤンソン『ムーミンパパ海へいく』小野寺百合子訳、翻訳編集:畑中麻紀

「わたしはいつだって海が好きだったよ。うちはみんな、海が好きだろ。だからこそ、ここに来たんじゃないかね」(p.269)

 

 

 

 ムーミン一家が、灯台のある島で暮らし始める。『ムーミンパパ海へ行く』とはそういう物語なのだけれど、でも、なぜ彼らは、住み慣れたムーミン谷を離れなければならないのだろうか。

 

 かんじんなのは、みんながまるきりあたらしい生活を始めることなんです。ムーミンパパがみんなの必要なものはなにもかもととのえてやり、みんなを食べさせたり、守ったりすべきだというのです。今までは、みんなのくらしがあまりにも、うまくいきすぎたのにちがいありません。(p.34-35)

 

 パパのこの考え方は健全とは言えない気がする。いやもちろんムーミンパパは、けっこう頑固で、依怙地な側面も多いにある。しかし本作において、パパのそれらの特徴は「愛すべきキャラクター」の範疇を超えている、悪い意味で。

 パパは焦り、失調している。何があったのだろう。どうしてそこまで必死に「いにしえの父親像」を演じたがっているのだろう。パパは我を失っている。

 

「まあ、パパは、自分のことをちゃんとわかってるわよ」

 ママはいいました。

「そうは思わないけど。パパはちっともわかっちゃいない。そうでしょ?」

 ちびのミイがあっさりいうと、ムーミンママもみとめなくてはなりませんでした。

「ほんとうはね」(p.15)

 

 ムーミンパパに、あるいはパパとママの間に、何が起きたのだろう。または、何が起きなかったのだろう。

 

 ムーミントロールは地図の上の、はるか海のむこうにある一点を見つめて思いました。

(パパはあそこに住みたいんだ。パパがめざしてる場所は、あそこなんだ。パパとママは真剣に考えてるんだ。これは本気のかけなんだ)(p.27)

 

 二人の息子であるムーミントロールは、両親の下した「移住」という決断を、「本気のかけ」だと言っている。か、賭け? 本気の賭け? 穏やかではない響きである。

 この家族は、もしかして相当に追い詰められていたのだろうか。それこそ「うまくいきすぎる日常」から逃げ出さなければならないほどに。

 

 ムーミンママに不安がよぎりました。

(おかしいわ。くらしがうまくいきすぎるからといって、かなしんだり、まして腹を立てるなんて、おかしいわ。(後略))(p.35)

 

 ですよね、私もそう思います、いや良かったー、話の通じる人がいて! このままムーミン谷にいたほうがいいと思いますよ!

 

((前略)だけど、そうなんだからしかたないわね。かんじんなことはただ一つ、視点を変えてやり直すことね)(p.35)

 

 いや仕方なくないんじゃないですか? 仕方ないのかな? ほんとに、ムーミン谷を出ちゃうんですか。考え直してみませんか。

 ……思えばママも様子がおかしかったですよ。パパだけじゃなくてね。

 

 ママは、すみっこの洗面台のそばのたなにある、ムーミンパパの灯台の模型のところへ来て、うわのそらでほこりをはらいだしました。

「ママ」

 ムーミントロールが呼びました。(p.25)

 

 意味ありげなこの場面で、ムーミントロールの呼びかけにママは気づかない。この後、息子が見ているとも知らずに、ママは少し謎めいた行動を取り、意味深長な言葉をつぶやく。

 

「なにいってるの」(p.25)

 

 おそらくはだいぶ訝しげに響いたであろう息子の問いかけに動じることもなく、ママは同じ言葉を繰り返す。やっぱりママも変だ。

 

 こうなると、頼みの綱はムーミントロールである。元気いっぱいの彼は、なんだか病んでる二人みたいにはならないだろう。

 ね、ムーミントロールも、ほんとはここにいたいんじゃないの? パパとママに気を遣わなくていいと思いますよ、二人を説得してあげて!

 

「ミイ! これはおもしろくなるぞ」(p.27)

 

 ……かくして彼らを乗せた冒険号は、夜の航海へと旅立った。

 

 まだ序盤の出航シーンまででもだいぶ危ういこの家族の物語は、「島」に着いてからさらなる危機に陥る。危機の連続とも言える。

 パパ、ママ、ムーミントロール

 どこか不気味なこの島で、三人は自分と向き合う(ミイは、なんか次元が違う)。家族ではなくて、自分と向き合うのだ。

 

 今はみんなが、自分を見つめて立っているのですから。(p.66)

 

 上記の引用個所における「自分」とは、文脈から言えばムーミントロールのことを指すのだけれども、しかしこの文章の前後には、ムーミンママの同じセリフが配されているのであり、「同じセリフが二度、繰り返されるとき、そのあいだにある描写には、何かがある」という私がでっちあげた「繰り返し仮説」に沿って読んでみれば、「自分」という言葉はムーミントロールだけではなく、文字通り「自分自身」のことをも指していると読めなくもない。

 

ムーミンパパ海へ行く』は、家族のメンバーが、家族ではなく自分を見つめる物語なのだ。その過程で、家族は一度、解体し、さなぎのような不定形な状態を経て、まったく違う形の家族に生まれ変わる。あかりの点かない灯台がそびえ、夜になると何かが蠢く、このあやしい島で。

 鍵を握るのは、漁師と海。

 

 なんとなく似ている気がする『ソラリスの陽のもとに』的な解釈をすれば、この海は、パパ(あるいは家族)の中の「あんまり向き合いたくない部分」を擬人化して漁師を送り込んだということになる。

 つまり、海=漁師=パパ(あるいは家族)ということだ。

 これはそんなに突飛な読みではないですよね、と私は思う。なぜなら、ろうそくは三本だったからである。

 

「きみはどこか変だぜ」

 と、ムーミンパパはつぶやきました。

「きみはぜんぜん人間らしくないな。人間というよりは、植物とか、影みたいなもので、そもそも生まれてきたものではないみたいだね」

「おれは生まれてきたんだよ。明日はおれの誕生日なんだ」

 漁師はすかさずいいました。(p.276-277)

 

 ムーミン一家はこの漁師の誕生日パーティーを開くわけだが、この時のケーキにささったろうそくの数が三本なのである。

 

「ろうそくが三本しか残っていないんです」

 と、ママはもうしわけなさそうにいいました。

「失礼ですけど、おいくつにおなりですの?」

「おぼえていないなあ」

 と、漁師はつぶやきました。(p.304)

 

 年齢不詳で、なんでも忘れてしまう「おじさん」と、私は『ムーミン谷の十一月』でも出会っている。あの「おじさん」も、作中でのパーティーで、祝ってもらいたがっていた。しかし、「礼儀正しいむかしふうのやりかた(p.301)」にやたらこだわるあの「おじさん」について考えるのは、今はよそう。今は、漁師と三本のろうそくについて考える時でしょうよ。

 

 この三本のろうそくが燃え尽きるまでの間に、とある劇的なことが起きる。何が起きたかは、ネタばれになるので伏せておきます。

 で、その瞬間というのは、「!」付きで描写されていて、で、「それ」以外はいっさい描写されていないわけだけれども、この時、「もどってきた」人物が、もう一人いますよね。いますよね!

 つまりこの瞬間、ここに「三人」が存在した、と読めなくもないわけで、となると、ろうそくが三本、そして先に「二本のろうそくは燃え尽きて(p.310)」しまうというのも、色々と考えちゃいますよね。私はここにある種の回復を見た。

 ここまででも本当に素晴らしいのに、ここからさらに素敵なエンディングが訪れる。

 静かに暴れる海を見ながら、パパはなにを思っていたのだろう。ママと出会った時のことを思い出していたかもしれない。彼女と出会ったのも、このように荒れる海でだった。そして、パパが振り返った時、パパはどんな顔をしていたのだろうか。想像するだけで目が潤う。良かった。本当に良かった。

 

 ところでこの作品には、未解決問題が残されていると私は思う。「毎日が日曜日問題」である。

 終盤、ムーミンママは、島での暮らしについて、「毎日が日曜日みたいで、(中略)これではたしていいのかどうか、わたし、気になりだしたの(p.291)」と言う。

 

「(前略)ピクニックはいつかはおえなければならないでしょ。あるときふいに、また月曜日みたいに感じるのじゃないかって、わたしはそれがこわいのよ。そうしたらわたし、今の生活が現実だとは思えなくなりそうで……」(p.292)

 

 これに対して、パパは、「なに、もちろんこれが現実さ。いつでも日曜日だったら、すばらしいじゃないか。そういう気持ちこそ、われわれが見失っていたものなんだ(p.292)」と驚いている。おそらく、ここでのパパの答えは、ママの不安を払拭できていない。

 ミイは「いったい、なんの話をしているのさ(p.292)」と突っ込んでいるが、この時ママが言いたかったことは、どんなことなのだろうか。

ムーミンパパ海へ行く』は、成熟を拒否しない物語であるとも言える。

 ムーミントロールはいわゆる「難しい年頃」に突入していて、パパに悪態をついたりもする。「かなぐつ」を池に沈めて思うのは、うみうまのことだ。『ムーミン谷の夏まつり』では同じようなことをして、ママを思っていたのにね。二村ヒトシさんが唱える「うみうま=グラビアアイドル説」の鮮やかさ。

 ムーミントロール=子供が成熟に向かうと同時に、家族のあり方もまた変化していく、ということなのだろうけれども、成熟の果てに訪れるのは、死である。ママはここで、死への怯えを口にしたのではないだろうか。それに対してパパは、「ここに死は訪れない」ということを言ったようにも思える。しかし、本当にそうだろうか。成熟を受け入れるということは、死をも受け入れなければならないのではないだろうか。

 未解決として残ったこの問題は、最終作の『ムーミン谷の十一月』へと引き継がれたと私は考えている。『十一月』は、生と死の間に境界線を引く物語だと読めるような気がしているからである。優しく、厳粛に、境界線を引く人物こそが、あの「おじさん」なのだと、今の私は考える。

 

トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の仲間たち』山室静訳、翻訳編集:畑中麻紀

 ふと、自分の青ざめた鼻が鏡のかけらにうつっているのを、フィリフヨンカはちらと見たのです。そして思わず窓のところまで走っていくと、外へ飛び出しました。

(p.78「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」より)



 ムーミン小説の中で唯一の短篇集が本作である。

 九つの作品が収められている。

 

 これまでに五作の長編が書かれている。『ムーミン谷の彗星』、『たのしいムーミン一家』、『ムーミンパパの思い出』、『ムーミン谷の夏まつり』、『ムーミン谷の冬』。

 これらの作品では、多くの場合、序盤で登場人物たちがのっぴきならない状況に陥る。

 でもなんか意外に平然としているようにも見えたり。むしろ破滅を楽しみにしているような人もいたり、これはちびのミイですね。

 そうして物語は進む。ところどころで笑わせつつ、不意打ちのように胸を締め付けられつつ、深遠な言葉がさらりと出てきたりしながら、そして随所でまったく説明がなされない謎めいた仕草・セリフが描かれたりしながら。

 物語は次第に熱を帯びてくる。

 エンディングに向けて、最高潮に盛り上げて、そこから更に盛り上げて、その上にもうひとつかふたつの盛り上がりを重ねてから、静かでまばゆいハッピーエンドを迎える。鮮やか、としか言いようがない。いつも必ず、目が潤う。

  しかしこのような尋常ならざる盛り上がり方というのは、長編ならでは、と私は思っていた。

 なので、短編がどのようになっているのかと興味津々で読み始めたら、短編は短編で凄いことになっていた。

 

 ムーミン小説の魅力のひとつに、「大切なことは語らずに伝える」というものがあると思う。この短編集ではその魅力が際立っている。雄弁なる沈黙。それは、飾り立てのない言葉たちが、絶妙に配置されることで起きる奇跡のような沈黙。

 「どうして歴史の上に言葉が生まれたのか」という歌が昔、あった。言葉というものは究極のところで「伝わらない」道具なのだということを歌っているような気がして素敵だと思った。

 画家でもあったトーベは、それこそ本能的に言葉が万能ではないことを分かっていたのでは。彼女の、表現としての言葉の使い方が、かなり独特に思えるのは、それは言葉を絵画的に扱っているから、と言えないだろうか。

 言葉で語るのではなくて、言葉で描くのである。のである、って、ちょっと、かっこつけてるようだけれど、何を言っているのかわからない。そもそも絵のことを全然わからないのに、絵画的とか使っちゃうのがね…。

 

 いやでもね、トーベの評伝には、トーベの描いた絵についての解説も載っているわけですよ。それを読んで私は感動したんです。

 つまり、光のあたりかたや、チェスの駒の色や…さりげなく描かれているそれらに、「ここにこんな意図がこめられているのか!」と衝撃を受けたんです。そしてムーミンの小説も同じではないかと思ったのです。

 言葉で語らずに、言葉で描くことで、伝える。だから絵画的。それはムーミン小説において「沈黙」が重要な要素であることと無縁ではあるまい。

 

 沈黙について。

 この記事の冒頭で引用した箇所を見てみる。

 ここでは、フィリフヨンカが家を飛び出した理由は、「鏡の破片に映った自分の鼻を見たから」と語られている。ここに沈黙が存在している、と私は思う。

 明らかに語られていない部分がある。

 ここは、標準的な語りの手順としては、

 鼻を見る→○○と思う→だから外に出る、ですよね。

 でもトーベ・ヤンソンは「○○と思う」について語っていない。

 フィリフヨンカは、鏡を見てどう思ったのだろう?

 なぜそれで外に飛び出そうとしたのだろう?

 私は、こんなことを延々と考えてしまうのだ。沈黙の魅力はここにある。

 なぜ、それが割れた鏡でなくてはいけなかったのか? とか。

 そういえば『ムーミン谷の十一月』でも、割れた鏡は登場するけれど、そこに映った自分の姿を見たあのキャラクターは、この時のフィリフヨンカと同じことを思ったのか、それとも違う何かを? とかね。

 そうして考えているうちに、フィリフヨンカを突き動かした「何か」について、なんとなく「こういうことだったのかな」とぼんやりと思い浮かべられるようになってくる。その「答え」は極めて個人的なものであり、言語化は難しい。なぜってそれは、語らずに伝わってきたものですからね。共鳴したんです。

 「世界でいちばん最後の竜」の、あの場面でのムーミントロールの沈黙なんて、この短篇集の中でも私的には最強の沈黙である。

 

 ムーミントロールは、長いことだまっていました。(p.112)

 

 本文を読むと分かりますが、このたった一文で、とても複雑な心の動きが表されている。こんな雄弁な沈黙が存在すること自体、ひとつの奇跡としか言いようがない、大げさではなく。絵画的言語表現によってもたらされる、雄弁な沈黙。静寂がスパークしている短篇集!

 

 「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」について。

 穏やかで平和そのもののような夏の日と、その平和が平和すぎるゆえに疑いを持つフィリフヨンカ。この平和に私は騙されないぞ、恐ろしいことがやってくるに決まっているのだと思い込んでいる。

 でも、「この世」は本当に穏やかで光もまぶしくて、美しい。それにもかかわらず、いや私は騙されない、やがて「おわり」がやってくる! と怯えるフィリフヨンカ。

 光が溢れる天国のような夏の日。暗澹たる気持ちでなかば取り乱しているフィリフヨンカ。この強烈な対比が面白い。

 しかし、いつしか本当に「おわり」を迎えるかのように、世界にはなにやら物騒な気配が漂い始め……。

 

 彼女は、何に怯え、苦しめられていたのだろうか。

 変調はあった。

 

 ところが、そういうお気に入りのかわいい品も、この浜辺の陰気な家では、みんな意味と落ちつきをなくしてしまうのです。(p.61)

 

 それらのこまごまとした小物は、本来なら彼女にとって「人生をいっそう軽やかにし、安全で自由にする(p.61)」ものだったのである。

 しかし今となってはそれが上手いこと彼女にフィットしない。もしかしたら真逆の意味を持ち始めてさえいたのかもしれない。つまり、「人生を重たくし、危険で不自由にする」ものに。

 さあ、フィリフヨンカはこの状況から決別、あるいは脱出できるのか? ということがこの作品で描かれていることだと思えなくもない。

 それは古風な自分とのお別れ=「家」から自由になれるのか、ということでもあるだろう、たぶん。

 そして彼女は、一度、家から脱出するんですよね。青ざめた鼻を見て。そして。

 

 古風なフィリフヨンカは、たぶんもう失われてしまいました。でももはや、そんなものを取り返したいのかさえ、わからなくなっていました。(p.82)

 

 天気はなんとも不安定で、波もどこへ行きたいのやら、わからないようでした。フィリフヨンカも同じでした。(p.83)

 

 浜辺(これもムーミン小説における重要なモチーフである)に立つフィリフヨンカは逡巡している。彼女は岐路に立たされている。

 行くか、戻るか(家に)。

 彼女の内面と天候がシンクロしているのだとしたら、彼女が怯える「この世のおわり」とは、「彼女自身の何かのおわり」だったのかもしれない。

 変化を望みつつ、変化に怯える。人間って、そういうものですよね。

 自分は変われるのか、変わったほうが良いのか、変わるべきなのか、変わらないべきか、難しい……。

 しかし「義務」という言葉に背中を押され、彼女が「戻る」ことを選んだ時、とてつもない「おわり」がやってくる。

 この「おわり」は、外からもたらされた奇跡ではなくて、フィリフヨンカ自身が生み出したものだと思う。天気=フィリフヨンカですからね。

 この「おわり」がすべてを吹き飛ばす。家も、小物も、なにもかも。フィリフヨンカはうっとりして考える。

 

(すっきりしたわ! [中略] みんな、きれいさっぱり吹き飛ばされちゃったんだから!)(p.86)

 

「もうわたし、二度とびくびくしないでいいんだわ。とうとう自由になったのよ。これからは、どんなことだってできるんだわ」

 そして、陶器の子ネコを岩の上に乗せました。(p.86)

 

 ああ、フィリフヨンカも子ネコも良かったね、って思うじゃないですか。「お日さまがのぼりました。(p.86)」ともあるし。フィリフヨンカ自身の夜明けでもある、と思うわけですよ。

 この後、おおいにはっちゃけるフィリフヨンカ、キュートですよ。ガフサも来てくれてね。こりゃあいい感じのハッピーエンドだなって思って、もうそういう心構えで読み進めていって、不意打ちのように最後の一行に出会うわけですよ。

 新しい自分になるということは、とりもなおさず、古い自分に別れを告げるということでもある。そこには喜びと同時に、悲しみも存在している。この悲しみは見えにくいし、いつも喜びばかりが持てはやされているけれど。トーベはそれを描いた。しかもあんな簡潔な文章で。トーベ・ヤンソンの凄み。 フィリフヨンカ、フィリフヨンカ、フィリフヨンカ…。

 

トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の冬』山室静訳、翻訳編集:畑中麻紀

 トゥーティッキは、肩をすくめました。

「どんなことでも、自分で見つけださなきゃいけないものよ。そうして自分ひとりで、それを乗りこえるんだわ」

 お日さまは、いよいよ燃えるように輝きはじめました。(p.170)



 ムーミンたちは冬眠をする。十一月から四月まで。そういう種族なのである。したがって、彼らにとって冬とは、空白の季節だった。これまでは。

 新年を迎えて間もない、ある晩のこと。冬眠中のムーミントロールの顔に、 月明かりが静かに差し込む。その時、彼の目が開いた。彼は冬眠から目覚めてしまったのである。先祖代々、誰も経験したことがないという目覚めを経験したムーミントロール。家族の皆は平常通り冬眠している。起こそうとしても、起きない。とてつもなく深い眠りである。そりゃ、冬眠ですからね。

 

「ママ、起きてよ!」

 ムーミントロールはさけぶと、走りもどって、ママのふとんを引っぱりました。

「世界中が、どこかへ行っちゃったよ」

 しかし、ムーミンママは目を覚ましません。(p.12)

 

 こうしてムーミントロールは、ムーミン一族史上で誰も経験したことのない冬を、ひとりで生きていくことになる。心細かったでしょうよ。南へ旅立ったスナフキンからの手紙を、何度も読み返す。「あたたかい春になったら、その最初の日に、ぼくはまたやってくるよ。(p.13)」手紙にはそう書いてある。声に出しても読む。元気が出てくる。春になったらまた会える! しかしムーミントロールは春まで待てない。彼は家を出ようと思う。南へ行くのだ。スナフキンに、会うため。

 玄関のドアや窓は凍り付いていて開かない。これでは外に出られない。スナフキンに会えない。屋根裏の天窓をようやくこじ開けて、ムーミントロールは家の外へ。

 彼が初めて目にする冬の世界が、そこには広がっている。

 

 つめたい空気の波につつみこまれました。

 ムーミントロールは思わず息がつまり、足をすべらせて、屋根の上を転がりだしました。

 もうだめです。おそろしい、見たこともないふしぎな世界に投げだされ、耳まで雪の中にうずまったのです。(p.16)

 

 慣れ親しんだムーミン谷は、そこにはない。すべてが雪に覆われている。物音ひとつしない、明るい闇。冬を知らないムーミントロールは恐怖を覚えるが、同時に、「なんだか面白く感じて(p.16-17)」もいる。

 そして冬の世界に降り立った時から、ムーミントロールの体に変化が生じていた。

 

 ベルベットの肌が、だんだんけばだってきました。(p.17)

 

 本人は気づいていないそうだけれど。

 やがては暖かいコートのようになるらしいこの「けばだち」だが、犬などに見られる換毛とは趣が異なる。生え替わり、ではないですからね。替わるのではなく、変わる。知らないうちに、少しづつ。第二次性徴の発現。思春期の、ひそやかな、幕開け。

 大人になるとは、いったい、どういうことなのだろうか。

 

 『ムーミン谷の冬』の冒頭に、とある小道具が登場する。

 「火をつけるときに使う虫めがねとカメラのフィルム(p.9)」

 ウェブで調べたところ、昔のフィルムは燃えやすかったらしい。この家では着火剤のような使い方をしていたのだろう。

 カメラのフィルムは、終盤で再び登場する。

 ムーミントロール「すべてをわすれて、ぐっすりと眠りについた(p.184)」とき。それを見届けたムーミンママは、ベランダでフィルムを燃やす。そしてフィルムが燃え尽きるまでの束の間に、トゥーティッキとちびのミイの二人と、穏やかに会話を交わすのだ。挿絵では、月明りの象徴のようだったトゥーティッキが、太陽を背負っている。美しくて、静謐な空間。Bill Evansの「Peace Piece」のような。

 この時のママは、何かに火をつけるためにフィルムを燃やしているわけではない。ただ、フィルムを燃やすために、燃やしている。この場面でママは同じセリフを繰り返す。最初と最後で。

 

 「春になったら、もっと早く起きるようにしないとね」

  と、ママがつぶやきました。(p.184-185)

 

  ママは、もう一回いいました。

 「来年の春は、わたしがだれよりも早く起きるようにしないとね。(後略)」(p.185-186)

 

 二回目のセリフは、フィルムが燃え尽きた後に発される。

 同じセリフが二度、繰り返されるとき、そのあいだにある描写には、何かが潜んでいる。これは私が『ムーミン谷の十一月』を読んでいる時にでっち上げた仮説である。

 きっとここにも、なにかあるんでしょうよ。

 私はママがここで「ネガの世界=冬」を消そうとしたのだと思っている。ムーミントロールが寝ている間にね。ネガフィルムのような挿絵も多かった。では何故、ママはそうしたのかと考えるのも、楽しいですよね

 ともあれ、ママはこの場面では、ムーミントロールにつらい思いをさせてしまったことをとても悔やんでいる。これが、トーベ・ヤンソンの凄いところだと私は思う。

 

 たとえば、こういう場面で、そこらじゅうに溢れてるありがちな展開としては、ママが「私の知らないところで、あの子(しかもきまって男子)も成長していたのねーふふふ」みたいなことを言って、子供も子供で「うむ。僕はパパのような立派な男(休日はいつもパチンコ屋)になるのだぞ」とうんざりするようなことを言って、そうして輝く朝日に向かってかけてゆく息子のたのもしい後ろ姿を、ママは家の中で優しく見守るのであった。完。

 

 といったような、こういう「勘弁してくれ」な物語が氾濫している場面において、しかし、トーベ・ヤンソンが描くのは、我が子の成長ではなく、母の悲しみなのである。ちょっと凄すぎますよね。

 

 北半球の国々に多く伝わるという鎮魂祭めいた儀式を境に、この小説の雰囲気は大きく変わる。

 太陽が戻ってくる儀式に思われたそれによって、ムーミン谷にやって来たのは、大音量でホルンを吹きならしながらスキーをすべる超・体育会系のヘレンさん…。この挿絵もすごい。「おいおい、とんでもないやつがやってきちまったぞ!」感がすごい。額に入れて飾りたい。

 でもこのヘムレンさんがね。

 前半の、時が止まったかのような死の世界に対して、このヘムレンさんは、あんまり認めたくないけれどやっぱりどこか太陽みたいなところがある。暗闇の世界の秩序みたいなものを、空気を読まずにホルンでつんざき、引っかきまわしまくる。

 そんなヘムレンさんが、ああ、あんなにも胸を締め付けられるドラマを演じることになるなんて、誰が想像できたでしょうか! ヘムレンさん!

 

 最後。ムーミントロールは、一人で静かに、この冬の出来事を回想しようとする。

 夢の中で生きているような子供時代を終えたとき、人は、回想という行為を手に入れるのかもしれない。

 では、この時のムーミントロールは、無事に回想することができただろうか。それは、もちろん、おわかりになりますよね。

『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』

 話はこないだの世紀末前後にさかのぼる。

 その頃、「ゲーム好きの、ファミっ子」(by飯田和敏from『スーパーヒットゲーム学』著・飯野賢治)だった僕が所有していたゲーム機はニンテンドウ64だった。

 それで『スーパーマリオ64』を遊びまくっていた。クッパの尻尾を掴んで、コントローラーの3D(サンディ)スティックをぐるぐる回して勢いをつけて、クッパをポーン! と遠くまで放り投げる。僕は楽しくて「あっはっはっはっはっは!」と嬌声を上げる。そうしているうちに中学校の三年間は終わった。

 

 高校一年生の十一月の終わりに、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』が発売されるまで、僕は『スーパーマリオ64』ばかり遊んでいた。『マリオカート64』もあったかな、でもあんまり記憶にない。友達が持ってたのかも。

 

 その頃のニンテンドウ64のゲームソフトのラインナップって、とっても少なかった。サードパーティーのソフトも少ないし、任天堂のソフトも少ない。あらゆるソフトの開発が、予定よりもものすごく遅れていた印象。(64DDもね…『MOTHER3』は64DDでやりたかったですよね。『キャベツ』ってどうなったんだろう? 『動物番長』は発売されたんだっけ? 『巨人のドシン1』は僕の「心のゲーム5選」に常にランクインしているくらい大好きだ、浅野達彦さんのOSTも愛聴している、いまだにね。)

 

 ゲーム雑誌には、今後発売されるゲームソフトの情報が載っているわけだが、ニンテンドウ64のソフトはやっぱり開発に時間がかかっているせいか、あまり新情報が出てこない。そして、その代わりに、というわけでもないのだろうけれど、とにかく色んなゲーム雑誌に宮本茂さんが登場して、インタビューに答えまくっていた。

 

 宮本茂さん。。宮本さんを表す最もキャッチーなフレーズは「マリオの生みの親」でしょう。左利きでいらっしゃる。ファミコンのコントローラーがあの形になったのは、たしか宮本さんが左利きだったことに理由があった気がする。宮本さんの左利きが世界中のインターフェースに影響を与えたってすごいですよね。

 

 そんな宮本さんが、ゲーム雑誌で語りまくるわけです。しかし、開発中のゲームについて話せる内容というのは限られているらしく、あまりなんでもかんでも話すわけにはいかないみたいだった。それにそもそも、開発が遅れているわけで、新情報もそんなにない。

 

 そんな中、宮本さんは毎週・毎月のようにゲーム雑誌に登場して、なにを語っていたかというと、それは、「ものづくりの哲学」とでも呼べるようなものだった。

 これが僕は大好きで、宮本さんのインタビューが載っている雑誌や本を立ち読みしたり買ったりしていた。

 ゲーム雑誌の中でも特に「濃い」インタビューをしょちゅう載せていた『64DREAM』という月刊誌を、毎月買うようになった。(クッパのド下手な似顔絵をはがきに書いて『64DREAM』に送ったら、読者投稿欄に載せてくれたことがあり、嬉しかった。アナログチャットの文章好きでした、担当編集者さん、安らかに。)

 

 宮本さんはどんなことを語っていたか。

 自分たちが作っているゲームのライバルはディズニーランド(娯楽としての完成度において)、とか、ゼルダ(『時のオカリナ』)は総合芸術としてレベルの高いものになる(意訳)、とか、締切りこそが創造の神様(意訳)、とか…。

 手元に資料がないので意訳ばかりで申し訳ないですが。

 

 なかでも、「ゲームの面白さとは」的な話が面白かった。

 インタラクティブ、という言葉を宮本さんはよく使っていたと思う。双方向性、みたいな意味だと思うんだけど、プレイヤーがボタンを押すと、テレビの中のキャラクターが動く、みたいな。それが面白いんだ、というもの。

 そして当時大流行していた「映画的演出」に対して、常に警鐘を鳴らしていた気がする。それはゲームの面白さとは違うよ、ということを。

 

 当時で言うところの「映画的演出」とはどういうものかというと、3Dのゲーム空間におけるカメラワークとか、あと、CGムービー垂れ流し、みたいなものを指していたと思う。たぶん後者を主に指していたかな?

 プレイステーションセガサターンの登場で、ゲーム内でCGムービーを流すという演出が可能になった。それは凄いんですよ、それまでのスーパーファミコンでは見たことがない映像だからね。

 でもその間、プレイヤーは操作できない。だからそれはインタラクティブではない、ゲームの面白さではない、ということを宮本さんは本当に繰り返し言っていたん。

 

 あと、初心者も夢中で楽しめて、かつ、上級者も夢中で楽しめるものを作らなきゃいけない、みたいなこともよく言っていた気がする。

 これって凄いことですよね。不可能に近いような気もするけど、任天堂のゲームソフトって、当時からそれを実現していた。

 でもこのことってあんまり注目されていなかった気がする。その、初心者も上級者も同じように楽しめるゲーム、ということが。

 ファミ通編集部にいた「風のように永田」さん(編集者N、ってこのお方でしたよね。ワナ! の人。ゲームボーイの『ドラゴンクエストモンスターズ』のヒットには、おそらく永田さんの書いた私小説風特集記事が大きく貢献したはずである。あの特集はすごかった。あとインプレッションの『リモートコントロールダンディ』の記事を書いたのもたしか永田さんで、腹を抱えて大笑いした記憶が今も鮮明に残っている。こんな文章を書けたら最高だなと思いつつ四半世紀が過ぎた)が書いた『ゲームの話をしよう』という本がある。

 この本の巻末ゲストで登場した伊集院光さんが、任天堂のゲームが「素人にも玄人にも楽しめることの凄さ」を力説していて(たしか「二枚腰」という言葉を使っていた)、ニンテンドウ64ユーザーの僕は嬉しかったのも、昨日のことのように覚えている。

 

 ともかく当時は、持て余すほどの膨大な時間があったので、ゲーム雑誌や書籍に掲載されていたそれらの宮本さんのインタビューを繰り返し読んでいた。これまで生きてきて最も影響を受けた人物だと思う。

 

 で、そんな宮本茂さんが、がっつり制作に関わったという『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』。

 インタラクティブの付け入る余地がない映画というジャンルで、宮本さんは、どのような「面白さ」を提供してくれるのだろうか、と期待が膨らんでいた。「映画的演出」を用いて「ゲーム的面白さ」を表現したりするのだろうか、でもどうやって? なんて考えたりしてね。それで息子を誘って映画館に足を運んだ。

 本編上映前の「It’s you MARIO!」のCMに様々な思いが去来し、すでに涙ぐんでいたことは、言うまでもない。

 

 上映終了後、時計を目にした息子が戸惑っていた。こんなに時間が経っている(約1時間30分)とは思わなかったというのだ。あっという間に感じたという。

「パパもだよ」と息子に言いながら、僕は、これってゲームに夢中になって気づくと1時間も2時間も一瞬のように感じるのと同じだ、と思った。

 子供も大人も夢中になって楽しめる。『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』はまぎれもなく宮本茂の作品だったのだ。