Pithecanthropus Erectus

読んだ本などの感想を書いてます。

坊っちゃん=清が遠隔操作するドローン説

夏目漱石坊っちゃん』を読んで

 

坊っちゃん、いつもいらいらしている。義憤に駆られまくっているというか。

まあとにかく、始終、いらいらしている坊っちゃん。ただなんだかんだいって、いらだちの筋は通っているし、悪口は辛辣だけどそれは悪いことをした人に対してだけで、良いものは良い人には「良い」ってはっきり言うし、そういうある意味でまっすぐで純真な坊っちゃんのことは憎めない。というかむしろ好感が持てる。

 

この坊っちゃんのいらだちって、案外、彼の繊細さの裏返しなんじゃないかと思って。

坊っちゃん、実は超デリケートな人間説というのを自分は提唱したいと思う。

つまり、繊細な坊っちゃんは些細なことで心がくじけそうになり、もう家に帰りたいってなるんだけどそれを怒りで隠し誤魔化すというか、怒りによって心のくじけを防いでいるのである。「家に帰りたい」ってのは隠しきれずにしきりに口から漏れ出てるけれども。

 

そして、ばあやの清の存在は「怒り」以上に坊っちゃんにとって大きいですよね。

心がくじけそうになるとまず怒って、いらだって、それから、アフターケアとして清を持ちだしてきては、「清なら違った」「清はこんなこと言わなかった」「清だったらこう言っていた」「清ならわかってくれる」みたいなことを言って自分を慰撫するわけである。この清が坊っちゃんに対してもたらす、絶対的安心感は強烈である。坊っちゃん=清が遠隔操作するドローン説というのも成立するだろう。それほど坊っちゃんは清にコントロールされている。

 

坊っちゃんが実は超繊細で、本人はそれを強がって隠しているんだけれども滲み出てしまうというシーンがあって、自分はそのくだりが大好きなんだけれども、それはどこかというと、清からの手紙が届くシーン。

清からの手紙、嬉しくてしょうがないと思うんだけど、坊っちゃんはもう悪態をつきまくる。ひらがなばっかりで読みにくいとか、骨が折れるとか、こんな長い手紙はお金をもらっても読みたくないとか、まあ罵りまくるんだけど、でもちゃんと最初から最後まで読む。それで、書いてある意味がよくわからないとか言って、もう一回読む。部屋の中が暗いとかいって、わざわざ縁側まで行って、読む。

たぶんこの時の坊っちゃん、そうとう感傷的になっていたと思う。というのも、縁側で手紙を読んでいる時に風が吹いてきて手紙が揺れるんだけれど、この時の描写が、「すると初秋の風が芭蕉の葉を動かして、素肌に吹きつけた帰りに、読みかけた手紙を庭の方へなびかしたから、…」とあって、すごい坊っちゃんらしくないというか、もうこれ、落ちる葉を見て涙するレベルの繊細さじゃないでしょうか。この優しさこそが坊っちゃんの本当の姿なのだろう。すごくいいシーンだと思う。これ以降、「清に会いたいなー」って気持ちが相当強まってる気がする。返事を書くのが面倒だから、直接会って口で言った方が手っ取り早いとか、ここでもまだ強がるのだけれども。

 

ハッピーエンドの楽しい小説でした。面白かったです。