Pithecanthropus Erectus

読んだ本などの感想を書いてます。

手塚治虫『火の鳥5 復活編』

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フェニックス きいてくれ

ぼくはもうふつうの人間じゃないんだ

人工的につくられた つくりものの生命なんだ!!

これが復活なら ぼくはもう ごめんだっ!!

(p.161)

 

舞台は西暦2482年。

前回の未来パートの『宇宙編』が2577年のおはなしだったので、

『復活編』はそこから95年、現在に近づいたということになる。

 

とは言え、『復活編』じたいが、未来の時間を行ったり来たりして描かれている。

始まりは2482年だけど、3009年に飛んだり、2484年に戻ってきたり。

最後は3344年で終わっている。

時代を行ったり来たりで頭がぐわんぐわん揺さぶられて、「時空酔い」とでも呼べそうな酩酊感を覚える。

 

話の内容も込み入っている。

事故死した青年が、最先端の医療で生き返る。(そういえば本作も、前作の『鳳凰編』同様に、主人公の落下シーンから物語が始まっている。)

しかし人工脳の調子があまりよくないらしく、その青年には人が人に見えない。

積み重なった岩に見えたり、ぎざぎざした気味悪いのに見えたりする。

逆に、ロボットが人間に見える。

 

青年はとあるロボットに恋をする。

 

さらに青年が死んだのは事故ではなくて、どうも殺人だったらしいことが明らかになる。

 

そしてなんだかんだの末に、青年はそのロボットと逃げるんだけれど、これは『未来編』のあの二人を連想します。あの二人も、人間と人間じゃないもの(ムーピー)のカップルだったし。

 

その一方では、「自分は人間なのでは」と思い始めるロボットが登場し、

なんだかんだの末に、無数の同型のロボットが集団自殺をする…。

 

これ、火の鳥がでてくる余地はないのではと思ったけど、ちゃんと出てくる。

 

と、このような混沌としたなかで、前作『鳳凰編』における「輪廻転生」に続いて、新たに、「自分とはなにか」と「生きるとはなにか」というテーマが登場した気がする。

これまでは、比較的やみくもに「永遠の命」を求めて突き進んでいたけれど、ここにきて「ところで命ってなんだろう」と立ち止まったとは言えないだろうか。

『復活編』が難解に思えるのは、登場人物たちのそのあらゆる逡巡がぎっしりと詰め込まれているから、そしてそれが見事に描き抜かれているからではないだろうか。

つまり、私の「難しくてよくわからない」という感想は、キャラクターたちの哲学的な問いがきちんと伝わっているということだ、と思いたい。