
2025年11月16日にNHKラジオ第2で放送された『こころをよむ 日本を見つめる巨人 折口信夫 第7回 かそけき詩人、怒りの詩人』を聴いていたら、講師の上野先生が、「創作、批評(評論)、研究」の三つについて、次のように整理していた。
創作=小説・詩を書く
批評(評論)=どこが良いか、良くないか、
こう読まれるべきではないか、と言う。
研究=正しいか、正しくないか。作品がいつ出来て、どういう表現があって、
どのようになっているか。
それで、この三者の緊張関係が重要、馴れ合いは駄目ですよー、と話していた。その頃、私は本書『松尾潔のメロウなライナーノーツ』を読む日々を送っていたので、では、ライナーノーツは創作・批評(評論)・研究の三つのどれに当てはまるのだろうかと考えた。大まかに見れば、三つ全てを包含しているようにも思えるし、厳密に分類するとするならば、どれにも当てはまらないようにも思える。
広告・宣伝のための文章なのかというと、それも正確ではないだろう。なぜならCDに付属しているライナーノーツを読む人は、すでに、その商品(CD)を買っている人だからである。美辞麗句を並べ立てて「買ってねー!」という趣旨のもとに書かれている文章ではないのだ。
だから、つまり、ライナーノーツとは、「CDを買った人が欲する情報を提供し、満足させる」ための文章、ということになるのではあるまいか。そしてそれは、創作的であり、批評(評論)的であり、研究的でもある、と私は思った。そして緊張感もある。馴れ合おうと思えばどこまでも馴れ合ってしまいそうな感じがするライナーノーツだけれども、本書の文章は、緊張感、ある。それは著者の音楽に対しての誠意によって保たれている緊張感だと思う。
「いやライナーノーツに創作的要素はないでしょう」とおっしゃる方もいるかもしれませんが、たとえば本書に収録されているジェイムズ・ブラウン『Living In America』の文章なんかは極めて創作的だと思う。そしてこの創作的ライナーノーツによって、ひとつひとつの曲紹介では伝えるのが難しいであろうこの傑作アルバムが持つ「熱量」という情報が伝わってくるのである。そして、このように、おそらく松尾潔さんは作品によって「今回の場合はこういう書き方にするのが一番良い」と判断して毎回、戦略を変えている。だから本書に収められているライナーノーツの文章は、「同じ人が書いてるの?」と思うくらい、それぞれスタイルを変えて、言葉を変えて、肩書を変えて、書かれている。すごいよ。
そしてさらにすごいと思うのが、このライナーノーツというものは、どうも、執筆時に、あまり十分な情報が手元にないらしい、という点である。情報がないのに、「CDを買った人が欲する情報を提供し、満足させ」なければならないという、無理な話が、膨大な知識とセンスと文章によって成り立っている。これはほんとすごいことだと思う。魔法的だと思う。以前、松尾潔さんは、たしか『メロウな日々』か『メロウな季節』を刊行した時のインタビューだったと思うのだけれども、「ライター時代は、痒いところに手が届く文章ではなく、痒くないところを痒がらせてからそこを掻くような文章を心がけていた」というようなことを語っていて、私はものすごく心を打たれたのだが、それは、おそらく、本書に収められているライナーノーツ群の中でもとりわけ、情報不足の中で書かれたものに、その技が光っているような気がする。たとえば、ドゥルー・ヒル(Dru Hill)というグループの作品について書かれたライナーノーツ。まあ、普通に面白く読み終えて、最後に付された「2025年追記」を読んで、私は愕然としました。そこには「とにかく情報が乏しかった。メンバーの名前も知らされないままの執筆だった」というようなことが書かれていたからです。「えっうそ!?」と思って読み返してみると、たしかに、メンバーの名前が出ていない。でも、最初に読んだときはそんなのまったく気にならなかった。ね、魔法的でしょう。
私の本書の楽しみ方は、まず、読み物として最初から最後まで読んで、その後、一番最初の作品から順番に聴いていく。そのために私はスポティファイを契約した。おい、そこはCDで聴くんじゃねえのかよ、ライナーノーツ文化が何のために失われつつあるのか知っているだろうよ、サブスクのせいだろうよ、と思うのだけれども、しかし、CDで全部揃えるというのは、今の私には容易ではない。すいません。全部、聴き終えたら、スポティファイは解約して、少しづつCDを買い集めて行こうと思っています。
それで、そうやってスポティファイで「メロウなライナーノーツプレイリスト」を作成し、職場への往復の車の中で聴いて、「いいなあ」と思った曲やアルバムについては、家に帰ってから本書の該当する部分を読み返す。特に大好きだと思った曲については「いい曲」というプレイリストに加えたりもしている。楽しいです。スポティファイで探せない作品については、同ミュージシャンで発表年が近い作品を代わりに聴く。そのやり方で現在、41作目のSurfaceのベストアルバムまで聴いてきて、いまのところロリ・ゴールド以外は何とかなっている。ロリ・ゴールドは、CDはかなり入手困難盤で、サブスクにもないし、いつかどこかの中古屋での邂逅を待つしかないのかもしれない。聴きたいなー。