Pithecanthropus Erectus

読んだ本などの感想を書いてます。

阿部和重『ブラック・チェンバー・ミュージック』

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「それとあの――」

 小首をかしげて「なんですか?」と訊いてきたハナコに対し、横口健二はこう伝えた。

「いつかまた、かならず会いましょう」

 するとハナコは一拍おいてから、このように応じた。

「はい、かならずまた会いましょう」

 この約束を果たせる見こみは今のところは無にひとしい。が、そうであっても言っておくべきなのだと、横口健二は認識をあらためていた。それを言葉にして、何度でも言いつのることこそが長大な壁に風穴を開け、世界を変える唯一の方法になるのかもしれない。そんなふうに悟ったからだった。

(p.311-312)

 

2019年2月24日の夜、主人公の横口健二は、知人のヤクザ・沢田龍介から、奇妙な仕事を依頼される。それは、沢田と一緒に横口の部屋にいた、ハナコという仮の名前を与えられた女性―北朝鮮から密入国してきたという―と共に、「アルフレッド・ヒッチコック試論」という論文が載った映画雑誌を探し出す、というものだ。期限は3日後の2月27日まで。

金銭的に苦しい日々を送っている横口は、100万円という報酬にもつられ、かつ沢田からの恫喝めいた依頼を断れるわけもなく、その仕事を引き受けることになる。

 

この小説の冒頭では、「トランプ大統領の非嫡出子を自称する男」が登場し、2019年1月1日に中国国境を越えて北朝鮮へ乗りこもうとしていた。とある文書を携えて。男は、この文書を金委員長に渡したい、というのである。

その文書は「国家機密に類する」ものらしい。一見すると、「日本語で発表された映画の評論文」らしいのだが、それは「金委員長の父上が生前に書きしたためた暗号文」だそうで、読む人が読めば「継承問題や統治能力の真贋をめぐる重大な秘密」が書かれていると分かるものらしい。

 

その一方で、北朝鮮と韓国の情報当局間は日本での非公式接触を重ねていた。

2月27日と28日には、ベトナムハノイ金正恩朝鮮労働党委員長とドナルド・トランプ米大統領の再会談が予定されている…。

 

だいたいこんな感じで幕を開ける『ブラック・チェンバー・ミュージック』は、もう信じられないくらい面白い小説で、読み始めたら止まらなくなってしまう危険な小説でもある。睡眠時間がみるみる削られる。そろそろ寝ようと思っても本から手を離すことができない。心を鬼にして読書を強制終了し、いざ布団の中に入っても、今度は小説の続きが気になって眠れない。

 

燃料は次々と投下され、物語は加速しつづける。「ちょっと待って、なんか色々きになる、なんか色々きになるからちょっとブレーキを!」と思ってブレーキペダルを探したけどそんな野暮なものは最初から用意されていない。読み終えるまで立ち止まることはできないということだ。

そうして迎えたエンディングが、それまでの喧騒とは打って変わって静かで、抑制の効いた文章で、端的に、とある情景が描かれる。私は泣いた。

 

 

『ブラック・チェンバー・ミュージック』はとてつもなく面白い小説であり、同時に、とてつもなく謎めいた小説でもある。

作中で提示された謎や伏線の回収といったものとは別の、ミステリアスな側面がこの小説にはある気がしてならないのだ。

 

 

それは例えば、なぜ横口健二のまわりは熊ばかりなのか、という謎である。

熊ばかり、といってもこの物語に動物の熊は出てこない。すべて人間である。

どういうことかと言うと、

横口から「くまモン」、時によっては「羆野郎」と思われている新潟ヤクザの沢田龍介。

横口から「北極熊の子供のよう」と思われている、熊倉書店アルバイトの中年男、矢吹翔。

イーディス・ヘッドのコスプレをしているのではと横口に思わせ、かつ、顔中シルバーのピアスだらけでどす黒いアイメイクをしていてドラゴン・タトゥーを背負ってそうとまでも思わせている、熊倉書店の店主、「熊」倉リサ。

このように、以上の主要キャラ三名が、「熊」なのである。いくらなんでも熊密度、高すぎない? ここには何かある。そう思って私は理由を考えた。ネット検索で、いくつかのキーワードを組み合わせたりして「理由にあたる何か=答え」を探したりもした。

結論からいうと、私はこの謎の答えにたどり着いていない。今も謎のままである。

おそらく、ヒッチコックの映画にヒントが隠されているのではないかと思う。

この「熊問題」もそうだけど、これから書いていくいくつかの「謎」についてのヒントは、ヒッチコックの映画にあるような気がする。

私は片手で数えられるくらいしかヒッチコックの監督作品を観ていないので、これからちょっとずつ観ていこうと思う、この小説を片手に。

 

気になる謎は他にもある。たとえばそれは「湯気」についてである。

湯気と、あまりにも印象深い「横口とハナコの浴室の場面」が、私はむしょうに気になって仕方がない。

この作品の中で最初に湯気が登場するのは、冒頭の横口のアパート(白馬荘)の部屋に、沢田とハナコがいる場面である。

横口は「湯気が立っているマグカップ」を二人におもてなししている。中身は緑茶である。猫舌らしい沢田は「熱っ、熱っ」と呟いて飲まないし、ハナコは手を付けない。やがて緑茶は冷める。

ちなみに中盤、沢田はもういちど白馬荘を訪れる。ここでも横口は「湯気の立つマグカップをみっつ」を振る舞っている。中身は緑茶である。ここでも沢田は緑茶を飲もうとせず、横口にグレープフルーツジュースを買いに行かせる。横口がコンビニから帰ってくると緑茶は冷めている。

このように白馬荘では「湯気が冷める」場面が二回繰り返されている。湯気のかわりに沢田はこの部屋にいるあいだ何本も煙草を吸い、白い煙を吐きまくっている。

 

話が前後してしまうが、冒頭の白馬荘の次に湯気が登場するのは、横口とハナコが、宮田ひろしと会う場面だ。

ここでは「湯気」という言葉じたいは出てこないけど、「出前のラーメンをふうふうしていた」とあり、「目の前であつあつの醤油ラーメンをすすられる」ともあるので、おのずと横口・ハナコと宮田のあいだには湯気がもうもうと立っていると考えて良いだろう。宮田は二人の前でこのラーメンを食べきる。

 

その次は松井律子とオープンカフェで会う場面である。ここでは「とうに冷めてしまったであろうココア」が登場する。これは横口との会話の果てにココアが冷めたということだろうし、描かれてはいないけど最初はもちろん熱くて、湯気がたっていたはずである。ちなみにこの日は2019年2月25日であり、屋外にいるのだから、吐く息は白くなっていたはずである。

 

次が熊倉書店で、熊倉リサにヒッチコック試論の断片を読んでもらう場面。

試論を読み終えたあと、熊倉リサは冷めたブラックコーヒ―を一気飲みする。そして三人分のコーヒーを淹れてくれ、飲みながら色々と話し込んでいる。冷めたという描写はここでは見あたらない。

 

その次が、さきほど書いた、沢田が白馬荘を二度めに訪れた場面での湯気。

 

その次が、例の浴室での場面。ここでは「湯気」という言葉は出てこないが、あったかいお風呂で湯気が存在しないわけがない。少し前の段階で「浴槽は熱すぎるお湯で満たされている」とあるので、たぶん二人は風呂場のドアを開けた瞬間から大量の湯気に包まれたはずである。そしてこの場面で、二人は一言もしゃべらない。「沈黙をひたすらまもりとおすことが、この状況を保つうえでの絶対のルールであるかのようだった」とある。なぜだろうか。

 

その次が、熊倉書店にて。熊倉リサが三人分のコーヒーを淹れてくれる。そして色々話す。それから熊倉リサが「冷めてしまったので淹れなおしてきますね」と言ってコーヒーを淹れなおし、「熱いコーヒー」を飲みながら横口が話を続ける。ここでも「湯気」という言葉は登場しないが、湯気は存在しているとみて差支えないと思う。

 

以上が、この小説に出てくる「湯気」の場面である。なんだか気にならないだろうか。(読み落としもあるかもしれない。佐伯とゆみちゃんのサイゼリアの場面、セルリアンタワー東急ホテルでの食事の場面では、それらしい湯気は見つけられなかった)

なぜ、風呂場のふたりは無言でなければならなかったのか。

「湯気→冷める」の繰り返しには、時間の経過の他に、どんな意味が託されているのか。

 

小説の後半で宮田ひろしが興味深いことを言っている。

それは、「あのときはばつが悪くて正直に言えなかった」というものである。「あのとき」とは、横口とハナコの前で熱々のラーメンをすすっていたときのことを指している。で、ちょっと強引だけど、この宮田ひろしの懺悔を鍵として、この「湯気問題」を問いてみるとどうなるか。

ばつが悪かった=だから湯気で本心を隠した、と考えてみよう。ちなみに宮田はラーメンを食べ終わった後=湯気が消えた後、ちょっと妙に優しさを見せる場面がある。結局これも無意味と分かっててなされた提案だったわけだが、湯気が消えたことでうしろめたさがむき出しになって、なにかせずにはいられなかったのだろう。

 

このように本心を隠す装置として湯気をとらえてみると、湯気がさめている沢田龍介と松井律子の場面での二人の言葉は、たぶん本音なのだろう。何かを隠しているようには見えない。

なぜかいつも熱々のコーヒーを用意してくれる熊倉リサは、だいぶあやしい。と言っても、このあやしさは、裏で彼女が糸を引いているとかいうあやしさではない。彼女はこの小説ではとても頼りになる存在で、彼女なしではこの物語はゴールできなかったと言って良い。でも、あやしい。ハードディスクの修復代とかだいぶあやしいんだけど、でもそのあやしさを隠すためというよりも、熊倉リサというキャラクターが秘めている謎、を隠すための湯気ではないか。

彼女は明らかに、横口の心の声を聞いているし、聞こえるはずのない横口と沢田の電話の会話を聞いている。後者について横口は「通信傍受や盗聴器の利用といったきなくさい疑惑」を浮かべたりもしているが、前者については説明がつかない。熊倉リサにはなにかやばい能力が備わっていて、それを隠すために湯気が必要だったのではないだろうか。だいいち、バッグの中身にはいつ気がついたのだろう?

 

というのを踏まえた上で、私の大好きな風呂場の場面について考えてみる。

なぜここで、横口とハナコは無言だったのか。「沈黙をひたすらまもりとおすことが、この状況を保つうえでの絶対のルールであるかのようだった」のか。

それは、風呂場が湯気で満たされていたからではないだろうか。つまり、ここでの発言はすべてフェイクになってしまう。本当のことを言ったとしても本当のことではなくなってしまう。だから二人ともこの場では無言に徹するしかなかったのだろう。

ハナコが横口に本当の気持ちを伝えるのは、この風呂場から出てすぐあとの場面(次ページ)である。

あるいはエンディングで流れるチャーチズの「グラフィティ」を響かせるためにこの場は無音でなければならなかったのかもしれない。「グラフィティ」はバスルーム(風呂場)とグラフィティ(落書き)について歌った歌だからだ。

「ブラック・チェンバー」は秘密情報部を意味し、「チェンバー・ミュージック」は室内楽をさしている。

と、新聞連載開始時の作者の言葉にある。ちょっとうまく言葉にまとめることができないけど、これをこの風呂場の二人にあてはめると、色んな秘密情報を共有する二人がいる浴室内に流れている(べき)音楽として、チャーチズの「グラフィティ」があり、まさにここでも「ブラック・チェンバー・ミュージック」が鳴っていたというわけである。

 

ちなみに、小説後半では、夜、横口とハナコが手をつないでトンネルを通り抜ける場面があり、そのあと、ベンチにならんで座り、こごえる海風に耐えるため「しっかりと身を寄せあって」いる。そのため、「横口健二とハナコのあいだのへだたりは、ゼロどころかついにマイナスとなっている」そうなのだが、ここで、「ヒッチコック トンネル」でGoogle検索してみると、『北北西に進路を取れ』の興味深いトリビアが出てくる。小説ではこの場面の少しあとで「北北西」という言葉もでてくる。

この海辺のベンチの場面も私は大好きだ。このブログ記事の冒頭に引用した会話もここでなされている。

 

湯気のほかに私が気になってしまうのは、「階段」についてである。

なぜ階段が気になってしまうのかというと、作中で引用される「アルフレッド・ヒッチコック試論」で階段のことが書かれているからである。序盤で引用される試論に、次のような箇所がある。

「注目すべきは、登場人物が階段をのぼることによって直面するおそるべき事態であり、二階の部屋において起こったいくつかの例外的な出来事である。それらを整理してみると、『喪失』『発見』『変化』というみっつのキーワードで言いあらわすことができる。

 すなわちヒッチコック作品において、謎は二階にあり、階段はサスペンスを生む」

この理論は、『ブラック・チェンバー・ミュージック』にも当てはまるのではないかと私は考えたのだ。

例えば、本作で最多登場する白馬荘の階段で見てみると、

冒頭、横口が階段をのぼり二階の自室に帰ることにより、

これまで一度も閉め忘れたことがないはずの玄関の鍵が開いていて(変化)、

沢田とハナコがいて(発見)、やっかいな仕事に巻き込まれる(日常の喪失)。

続いて、階段をのぼり部屋に帰るとハナコの素顔を「発見」し(p.48)、

粗悪な偽造パスポートを「発見」し(p.81)、

p.272では横口は階段を駆け上がり、玄関口でハナコと抱擁している。このとき横口は、「三十八歳の独身男はかつて味わったことのない肯定感」を覚えている。これは「変化」にあてはまるだろう。

ヒッチコック試論の通りである。他にも、幸ヶ谷公園の階段をのぼり佐伯を発見し、熊倉書店の階段をのぼり熊倉リサの見た目の元ネタと、金正日の映画評論を発見している。そして終盤、横口は笑運閣ビルの階段を必死にのぼり屋上へ出る。

ちなみにこの熊倉書店は、いつもはエレベーターで行き来しているのだが、この時だけ、なぜか故障中(これもあやしいんだけど)で、横口とハナコは階段で移動している。この場面からも、ヒッチコック試論の階段ルールがこの作品の中に厳密に存在しているのではと思えてくる。つまり二人が「発見」するためには、階段をのぼらなければならず、したがってエレベーターは故障していなければならなかった、と考えられるからである。そして同時に、エレベーターでの昇降は階段のそれにはあたらない、ということもここで明示された、といえなくもない。

あと話が逸れるけど、熊倉書店は五階建てであり、一階から三階までが売り場となっている。しかし「二階」は一度も登場しない。横口たちはここに寝泊まりするようにさえなっているのにも関わらず、二階についてはいっさい触れていない。「謎は二階にあり」というのであれば、熊倉書店の二階のこの空白もしくは立入禁止ぶりは、逆にあやしい。

もっというと本作に登場する二階は、白馬荘とセルリアンタワー東急ホテル二階のみである(はず)。セルリアンタワー東急ホテル二階は、たしかに謎に満ちている。ヤクザの沢田が高級料理をご馳走してくれるのだから。そしてここでのハナコの行動が、「グラフィティ」的な意味で大いなる伏線ともなってくる。「謎は二階にあり」もまた徹底されている。

 

ヒッチコック試論には「登場人物たちが階段を降りる際、彼らは決まってある種の緊張状態に置かれている」ともある。このルールも、『ブラック・チェンバー・ミュージック』には適用されている。

横口は、「階段をおりることについて」の引用箇所を読んだ後、ハナコと外出する際、大家夫婦に見つかりはしまいかと「緊張状態に置かれ」ながら忍び足で白馬荘の階段を降りている。まるでヒッチコック試論を丁寧になぞるよであり、「この降りるルールも適用されます」と宣言されているようでもある。

しかし階段を降りる場面はそんなに多くない。がゆえに印象的でもある。作中で階段を降りる場面は、上記のハナコと外出の場面と、田口兄に連れ去られる場面、田口兄に廃病院の地下に連れて行かれる場面、ヘイトデモの連中から逃げて地下通路に降りる場面、の四つである(はず)。たしかにどれもが緊張の場面である。

特に、田口兄による「階段下降二連発」のときの「緊張状態」たるや、そりゃふたつ続けてですからね、やばいです。

 

もう一つ、序盤で引用されるヒッチコック試論の一部に、「ヒッチコック作品にくりかえし登場するニセモノ的存在がかつて一度も果たしえなかった、階段をのぼることによる『変化』が、『発見』とともにここでたしかに遂げられた」というものがある。

これは『ファミリー・プロット』について書かれた箇所で、同作は、「ホンモノ対ニセモノの構図に集約できる筋だて」であり、ニセモノの霊媒師がホンモノになり、「階段をのぼった途中」でダイヤモンドを見つけてハッピーエンドとなる。これが「ニセモノ的存在の勝利」であり「ニセモノ的存在がかつて一度も果たしえなかった、階段をのぼることによる『変化』が、『発見』とともにここでたしかに遂げられた」ということになるのだろうと思う。

では、『ブラック・チェンバー・ミュージック』における「ホンモノ」と「ニセモノ」とは、いったい何を指しているのだろう。

「ニセモノ」は、●●●●●●●●●●●●●●●●●●であり、●●●●●●●●であり、変装して横口の親戚を名乗るハナコであり、論文が必要な理由をごまかしたりする横口健二である。すべて熊倉リサによって「ニセモノ」であると暴かれている。

では「ホンモノ」はなんだろう。日本での非公式接触を重ねる北朝鮮の金と、韓国の韓。ヤクザの沢田。田口兄弟、天知たち、とかだろうか。あとトランプ大統領とか金正恩朝鮮労働党委員長あたりか。ヘイトデモの連中もか。

 

頭がこんがらがりすぎて知恵熱がでそうな感じだが、次のように考えることはできないだろうか。

「ニセモノ」の横口健二が、笑運閣ビルの階段をのぼり屋上へ行き、そこで、「ホンモノ」同士の田口弟と天知がああなっていなくなり、なんだかんだで宙吊り(サスペンス)状態だった横口は、メリーゴーランドのおそらくは白い毛並みであろう木馬に乗っていたハナコの安全を「発見」してから、落下する。

そしてこの場面を経て「ニセモノ」が「ホンモノ」に「変化」したのは誰か言うと、私は横口ではなくハナコだと思う。

このあと、横口に聞かれたハナコは、本当の名前を教える。

いい場面。私はこの場面も大好きである。「映写機に投影されたイメージさながら」だったハナコが、名前を伝え、微笑む。ニセモノがホンモノになった瞬間と言えないだろうか。

沢田が適当に付けたはずのハナコという偽名が、じつはそんなにかけ離れてもいなかったりするのがなんだかおかしい。

 

『ブラック・チェンバー・ミュージック』には他にも気になることがあって、たとえば「食事」というものが意味するものは、みたいなことなんだけどもう私の頭は限界がきているようで何だかぽかぽか熱を帯びてきてやばい気がしてきたのでやめておこうと思う。サイゼリアの場面とか気になるんだけど(口の中にあるもの的な意味で)、ただ疑問点をならべるだけに終わりそうだし…。でも、なんかありそうなのである、チョコレートを口にしたり、口の中になんか色々ある時とない時の違いみたいな。熊倉リサは口にピアスしまくってるらしいけど、そのことの意味とか。

あと細かい気になる点をいくつか。

それは熊倉マリの存在である。新聞記者という職業まで与えられている熊倉リサの姉は、一瞬しかも名前だけ登場する謎のキャラクターである。気になる。覚えておこう。

あと、佐伯が、横口から熊倉書店にはしょっちゅう行くのかと問われ「どうして?」とうろたえるように見えたところ。

あと、「流れ星」です。なぜあそこで流れ星が流れなければならなかったのか? というかあれはそもそも流れ星だったのか? 服部は「隕石」だの「火の玉」だの「UFOが爆発」だの「空ぜんたいがまっしろくなっちゃってた」だの「やばいよねえ」だの言っている。流れ星ってそんななる? 何かの伏線かもしれない。この時の日付は2019年3月12日のはずである。覚えておこう。

あと、田口弟の帽子が飛ばされそうになるシーンは、クリント・イーストウッドの『ヒア アフター』の双子弟の帽子が飛ばされるシーンを連想した。

最後にこの小説のプレイリストを載せてみる。曲は登場順である。

 

BLACKPINK「AS IF IT'S YOUR LAST」

ソナタ3階308号室にて。韓と金のどちらが選曲したのか、もしくはデンモクの履歴にあっただけなのかは不明。黒とピンク。これがオープニングテーマ。かっこいい。

youtu.be

 

 

岸洋子「夜明けのうた」「希望」

ソナタ3階308号室にて。デンモクの履歴より。「金は、しばしばメロディーに聴きいり、モニターに映しだされる歌詞を黙ってじっと見つめてい」る。

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チャーチズ「曲不明」

熊倉書店の地下にて、横口とハナコが聴いている。曲はわからない。沢田がチャーチズを知っていたのが興味深い。

 

 

 

バングルス「セットユーフリー」

ソナタ3階308号室にて。金が選曲。好きな曲らしい。

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シカゴ「素直になれなくて」

廃病院のレントゲン室にて。天知が歌っている。こわい。

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TOTO「ホールド・ユー・バック」

同じく廃病院のレントゲン室にて。天知が歌っている。こわい。

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ぴんから兄弟「ひとり酒」

見た目もぴんから兄弟の宮史郎にそっくりな服部が歌いながら登場。

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ぴんから兄弟「曲不明」

なんだかんだのすえに、服部が去る際に歌っていた歌。曲名は出てこないけどたぶん「ひとり酒」か。

 

 

チャーチズ「グラフィティ」

これがエンディングテーマとなる。

youtu.be

翌日の追記

書き忘れていたこと。

小説の冒頭で、横口健二の部屋の鍵を開けたのは誰か問題。が残っている。

私は横口が思うように大家夫婦が開錠したものとは考えられないのだ。

そしてこの小説が「ヒッチコック・タッチと呼ばれるスタイル」をとっているのであれば、どこかに監督=作者が登場しているはずである。

それはどこだろう? 阿部和重さんはどこにいる?

私は、この、横口の鍵を開けた人物こそ阿部和重さんなのではないかと考える。だって、大家夫婦でないとすれば、あの鍵を開けられるのは作者以外にいないはずだからだ。

もしくはp.187に登場するウェイターとおぼしき「誰か」もあやしい。

まさか、小林社長ということはないと思うが…。

命かけ守る機密情報 作者の言葉

 本作のタイトルはふたつの単語からなりたっている。ひとつは「ブラック・チェンバー」、もうひとつは「チェンバー・ミュージック」だ。「ブラック・チェンバー」は秘密情報部を意味し、「チェンバー・ミュージック」は室内楽をさしている。この二語をピコ太郎的にくっつけてできあがったのが、『ブラック・チェンバー・ミュージック』である。

 タイトルが示すとおり、本作の物語はある秘密情報をめぐって展開する。北朝鮮からの密使によって日本に持ちこまれた秘密は、いくつかの室内でひそかに共有されることになる。情報共有に利用される個室のうちの一室ではつねに音楽が聞こえているはずだ。主人公の男女は、漏えい阻止の徹底を義務づけられるが、それに失敗すれば命の保証はない。

命かけ守る機密情報 作者の言葉

 本作のタイトルはふたつの単語からなりたっている。ひとつは「ブラック・チェンバー」、もうひとつは「チェンバー・ミュージック」だ。「ブラック・チェンバー」は秘密情報部を意味し、「チェンバー・ミュージック」は室内楽をさしている。この二語をピコ太郎的にくっつけてできあがったのが、『ブラック・チェンバー・ミュージック』である。

 タイトルが示すとおり、本作の物語はある秘密情報をめぐって展開する。北朝鮮からの密使によって日本に持ちこまれた秘密は、いくつかの室内でひそかに共有されることになる。情報共有に利用される個室のうちの一室ではつねに音楽が聞こえているはずだ。主人公の男女は、漏えい阻止の徹底を義務づけられるが、それに失敗すれば命の保証はない。

 本作のタイトルはふたつの単語からなりたっている。ひとつは「ブラック・チェンバー」、もうひとつは「チェンバー・ミュージック」だ。「ブラック・チェンバー」は秘密情報部を意味し、「チェンバー・ミュージック」は室内楽をさしている。この二語をピコ太郎的にくっつけてできあがったのが、『ブラック・チェンバー・ミュージック』である。

 タイトルが示すとおり、本作の物語はある秘密情報をめぐって展開する。北朝鮮からの密使によって日本に持ちこまれた秘密は、いくつかの室内でひそかに共有されることになる。情報共有に利用される個室のうちの一室ではつねに音楽が聞こえているはずだ。主人公の男女は、漏えい阻止の徹底を義務づけられるが、それに失敗すれば命の保証はない。