『完訳 アンデルセン童話集(二)』大畑末吉訳
部屋の中は、何から何まで、もとのままでした。時計は「カチ! カチ!」いっています。時計の針もまわっています。けれども、ドアを通る時、二人は、いつのまにか、自分たちが、おとなになっていることに気がつきました。屋根の雨どいのバラの花が、あけはなした窓の外に、美しく咲いていました。そして、そこに、小さな子供の腰掛けがおいてありました。カイとゲルダは、めいめいの腰掛けにすわって、お互いに手をにぎりました。(「雪の女王」p.216-217)
本書に収められている26個の作品の中で、私がもっとも心を揺さぶられたのは「雪の女王」である。
もう冒頭の、ゲルダとカイが、向かい合うお互いの窓ガラスの氷を、熱した銅貨でまるく溶かして、その丸い穴を通してお互い見つめ合う、というなんとも幻想的でラブリーな場面から引き込まれてしまった。
女の子のゲルダと、男のカイの家は、すぐ近くに向かい合ってある。
二人の両親は「すぐとなりあった屋根裏部屋」に住んでいたらしい。
なので夏は、「ひとまたぎ」でお互いの家を行き来していたという。
でも冬はそのやりかたはできないため、遠回りをしなければならなかった。
この、「冬」がふたりをさえぎるものとして存在していて、でも、
凍ったガラスを溶かして、そこからお互いを見つめているというこの情景が、
「雪の女王」という童話のすべてを暗示しているような気がする。
このあとカイは、雪の女王に連れ去られる。
ゲルダはカイを探す旅に出て、行く先々で魅力的なキャラクターたちに出会い、助けてもらいながら、いよいよ雪の女王の城へと向かう。山賊の娘とかね、いいですよね。カラスも。
そこで、色々ある。「永遠」というパズルの文字のできかたとか格好よくて美しいし、カイの目から鏡の破片が飛び出してゲルダに気がつく場面とか感動的だし、その後の、凍死しそうなカイをゲルダが暖める場面もすごくいい。
この雪の女王の城の場面は盛り上がるなーいいなーと思ってたら、このあとのエンディングはその上をいくのだから恐ろしい。
ゲルダとカイは城を出て、これまで助けてくれた人たちと再会しながら家を目指す。
そこでさらりと、気のいいカラスが死んだことを知らされて、私は「え、死んだの!? なんで?」と焦ったけれどとくにその話題に深入りすることはなかった。死んだのか…。
そして家に帰り、時空が歪む。冒頭で引用した問題の場面である。
ゲルダとカイはとくに動じることなく、ごくあたりまえのように腰掛けに座り、手をにぎる。この不思議な感じが美しくていい。私は泣いた。
そして「カイとゲルダは、互いに目を見あわせ」るのである。
ここですよ! あの、冒頭での、凍ったガラス窓の小さな穴越しに見つめあっていた二人が、今はこうして至近距離で「目を見あわせ」ているんです!
そしてそのとき急に、あることの意味が、はっきりしてきたという。
その意味とは、読んだ人が銘々に考えるようなことだと思うけど、
私は「こここそが、そこだったんだ!」ということなのかなと思った。幸福感と、神への祝福みたいな。
物語は「時は夏、暖かい、恵みゆたかな夏でした。」で締めくくられる。
この物語は「夏」で終わらなければならない。なぜなら二人は、手をにぎっているのだから。
「みにくいアヒルの子」について、私はかねてから疑問に思う点があって、それは「この話には救いがない」ということだった。
だって、「自分はみにくいからいじめられていました、でも実は美しい白鳥だったんだラッキーわーいイエーイ、辛くても耐え忍んできてよかったー」って言われても、それはたまたま白鳥だったから良かったのであって、じゃあ、ただみにくいだけだったらどうなの? 良いことなくない? 結局あれなの、美醜の問題なの? ってなるじゃないですか。
たぶん宮沢賢治も同じようなことを考えて、醜い鳥が醜いまま壮絶な最期を迎えて輝く星になるという傑作童話「よだかの星」を書いたのではないだろうかと私は勝手に思っている。
つまりアンデルセンが「みにくいアヒルの子」で描かなかった「救い」を、宮沢賢治は「よだかの星」で描いたのだ、と私は考える。
たとえば「みにくいアヒルの子」を意図的に誤読することはできないだろうか?
美醜の問題ではなく、能力の問題として考えるのである。
どういうことかというと、家畜として飛べないように作られているアヒルと、どこまでも飛ぶことができる白鳥の対比の物語としては読めないだろうか、と考えたんだけど、でも作中では徹底して美醜にこだわっていて、誤読の余地はなかった…。
「マッチ売りの少女」も本書に収録されている。
幻想に救いを求めることしかできなかった女の子の悲しさというよりも、
燃え尽きたマッチの束を抱いて凍死している彼女をみて「この子は、あたたまろうとしたんだね」と言って平然としている人々の冷たさが描かれていると思った。
人々の冷酷さに凍死したのだ。