Pithecanthropus Erectus

読んだ本などの感想を書いてます。

アベ・プレヴォー『マノン・レスコー』青柳瑞穂訳

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「ねえ、きみ」と私は答えた。「だからこそ、ぼくはみじめなんだよ。弱いんだよ。ああ! それはぼくにだってわかっている。ぼくは頭で考えているように行動しなければならないのだ! ところが、ぼくにはそれだけの実行力があるだろうか? マノンの魔力を忘れるにはどれだけの助けが必要だろう?」(p.130)

 

若き騎士・グリュウ君が、マノン・レスコーという名の美しい女性に惚れてしまったばっかりに、運命の怒涛の渦の中に我が身を投じることになって、その顛末を、金持ちの作者に語り、作者はそれを記した、という小説。

 

リュウ君によれば、マノンという女性はそれは美しく、まさに魔力的な魅力の持ち主だそうである。

そしてまた、マノンは、派手で快楽的な暮らしが大好きだった。それなしでは生きられない、みたいな。

 

だから、グリュウ君に金が無くなると、すぐに他の金持ちのところへ行ってしまう。わりと平気な感じで。

そしてその都度、グリュウ君はあの手この手で金を手に入れ、マノンを取り返そうとする。この時のグリュウ君は平気で犯罪行為に手を染める。普通な感じで。だってマノンを取り返すためならこれがいちばん合理的でしょ、なんか問題でも? みたいに平然としている。人も殺す。

 

それでなんとかマノンを取り戻し、二人の暮らしが落ち着くかというとそんなことはない。定職についてないグリュウ君と、ど派手な暮らしを好むマノンとの間には、お金に関するトラブルが絶えない。

その都度マノンは他の金持ちのところへ行き、その都度グリュウ君は犯罪に手を染めながらマノンを取り返す。刑務所的な所に入ったり出たりしながら、二人はしだいに追い詰められていき…。

 

私はこの作品を読んでいて思ったのは、グリュウ君なんかやばくないか、ということである。私が彼を「君づけ」で呼ぶのは、なんだか彼を変に扱うと逆恨みされそうで怖いからである。そういう男なのだ。

 

マノンはこのやばいグリュウ君から、なんとかして逃げようとしていたのではないか。

逃げ切るべきだった。

彼女はただ圧倒的に美しく、金のかかる生活が好きなだけだったのだ。

だから大金持ちの男と暮らしていれば、生涯を幸福のままに終えられたはずである。

 

賢いマノンはそのことを分かっていて、だからこそ何度も金持ちの男に乗り換えようとしたのではないだろうか。

しかしその度に、狂気の粘着男・グリュウ君が「取り返し」にやってくる…。

こういう男と縁を切るのは難しい。彼女に振られて逆上した男が…という痛ましい事件は現代でも後を絶たない。

マノンはどうすれば良かったのだろう。

 

リュウ君が語るこの「物語」を信用してはいけないと私は思う。

なぜなら、彼が「身の上話を涙ながらに語る時」というのは、その聞き手を「利用」しようとしている時に他ならないからである。

作中で、何度もグリュウ君が使う「手口」である。

彼は何度も、金持ちや権力者や父親や友人に、「自分はこういう大変なことがあって、かわいそうな男なんですよー」と熱弁し、協力や金や許しを得ている。

その時、自分に都合の悪いことは巧妙に改変して話しているのだ。

また、ここでいま、この話をすると、あとあと好ましくない結果に繋がるといけないから、ここは敢えてこんな感じで抑えておいて、それで後日、こういうアプローチをするといい感じだなあ、みたいな計算を冷静にしつつ、涙ながらに語ることのできる男でもある。

リュウ君はかなりサイコパシーな知能犯だと思う。

 

だから私は、グリュウ君が語る「レスコー君の最期」も、その通りなのか怪しいものだと睨んでいる。あなたが手を下したんじゃないのか、と私は言いたい。レスコー君はもはやどうしたって邪魔な存在でしかなかったからである。

 

アメリカに渡ってからの出来事なんて、すべて眉唾ものと思って良いだろう。

リュウ君は都合よく事実を改変し、自分を美化し、聞き手の心を揺さぶる天才である。

誰も知らないような新天地・アメリカでの日々なんて、捏造し放題ではないか。

事実はいったいどうだったのか。

マノンはさぞや無念だったことだろうと思う。

マノンさんの安らかな眠りを祈ります。