Pithecanthropus Erectus

読んだ本などの感想を書いてます。

『ノディエ幻想短篇集』篠田知和基編訳

 ウェブ上にちらばっている怖い話を日々、読み漁っては恐怖にふるえ、眠れない夜を送っている私は本当に馬鹿だとは思うけれど、しかし、面白くてやめられない。

 私が特に惹かれるのは、「よくわからない出来事が起きて、よくわからないままに終わる」系の体験談である。あやふやでもやもやな未完成の話こそが私にとっては「本物の怖い話」であり、「よくできた怖い話」というのはそれだけで「作り話=偽物」だと思えてしまう。

 文章は整っていないほうが本物っぽいし、時系列も整理整頓されてないほうが本物っぽい。「ちょっと手を加えてより怖くしよう」みたいな作為が見え隠れするものは本物っぽくないし、因果関係がきっちりしているのも本物っぽくない。

 本物っぽいのが読みたいなーとは思いつつも、「ウェブ上に書き込まれた体験談」ということは、誰かが「よーし書くぞー」と思って、本当か嘘かはどうであれ自分の頭の中にあるものを色々と考えながら言葉に置き換えて書き込んでいるわけで、その時点で十分に作為的であるとも言える。だから大抵の怖い話は本物っぽくない。

 被写体にカメラを向けて、「自然な感じにしてください」と言ったところで、それはカメラの前で「自然に見える演技」をさせているのであって本当の自然ではない、みたいな、そういう宿命的な嘘っぽさが、怖い話にはあらかじめ備わっている。

 しかしごくまれに、「なんだこれ?」みたいな、荒唐無稽でよくわからない、けれども本物っぽいというか本物としか思えないような怖い話を見かけるときがあって、その時の感動というか、ぞくぞくずる感じを味わいたくて、寝る前の怪談まとめサイトのチェックをやめられない私である。

『ノディエ幻想短篇集』を読んで思ったのは、作者が「本物っぽさ」を出すために細心の注意を払っている、ということである。そこがすごい面白い。

「物語」という作り物のくくりに収まっている以上、「だってこれ、作り話でしょ」と、あらかじめ読者に色眼鏡をかけられているという不利な状況でスタートしたはずの語りだが、作者の巧妙な話術により、いつしか「いや、これ、本物っぽいなー」と思わせられてしまう。とくに、本書に収録されている「青靴下のジャン=フランソワ」と「死人の谷」は、実話だと私は思いました。

「死人の谷」は、多少の脚色があるだろうけれど、このわけがわからず不気味な感じはじつに良い。

「青靴下のジャン=フランソワ」は、この短篇集の白眉だと思う。ギフテッド in 1832とでも呼べそうなこの不思議で悲しい物語は、妙に生々しくて、忘れがたい印象が私の中に残った。